第四天 彰化~嘉儀

低体温症   走行115キロ


12月2日

夜中の2時半位に全身が痛くて起きた。口の中が冷たい。 

アルコールを食らって寝たから一気に体温が奪われたのか?

具合が悪いのと酔っているの両方で真っ直ぐに歩けない。 

なんとかセブンイレブンに入った。 カップの味噌汁を飲んだけどヒリヒリするだけだった。

ペットボトルにお湯を入れお腹に挟んだ、これのお陰で随分と生き返った。

昨日の事もあるし、彰化は暗いうちに出たかった。

5時20分嘉儀に向け出発した。

出発して直ぐ分かった事。 

昨日、ビリヤード場だと思って入った店はスタンディングのドリンクバーだった。

私はタピオカの拡大写真をビリヤードの球だと思って勘違いしたようだ。

 

最後の最後手抜きをして連中に捕まりたくはない。

だから山越えのルート139を選んだ。 たぶん行ける。

それから1時間ひたすら山を登った。 

山越えの時はいつもクラウディオ ギアプッチ(ツールドフランス伝説の山岳王)になりきる。 中学生の時初めて見たツールドフランス。 アルプスの山の中、果敢にアタックをするギアプッチは最高にかっこよかった。

上半身を揺らしながらえっちらおっちら登っていくんだ。

 

山は登りきった。 道が3差路になっていたから近くにいたチャリダーに道を聞いた。

「嘉儀に行く道はどれ?」 すると 「今は通れないよ この先」 ときた。

一瞬耳を疑ってもう一度聞き直したが、戻るのが一番早い との事。

あまりにも自信たっぷりに言う 万事休すだ。

(後日、詳細に調べたところ74号線まで粘れば通過できたと判明)

1時間掛けて登った山を10分で降りた。

体力だけ消耗し振り出しに戻った。街はもう朝焼けを過ぎていた。

昨日の彼らや義兄弟達には会いたくないけど堂々と国道を南下していくしかない。

そんな時突然大声が聞こえ一瞬ドキッとしたが振り向くと昨日2回も行き会った香港の若者だった。

我們真有緣!」俺達マジで縁があるね! 

彼は2か月の予定で徒歩台湾一周中、移動速度の違う私と3度も行き会うのは本当に縁がある。 写真を撮って住所を交換した。
(彼のFBページは LiveFast  徒歩旅から見える台湾を紹介しています)

途中、豆腐とにゅう麺みたいなのを食べて燃料補給して走り続けたのだけど吐き気やだるさ、一度信号で止まるとなかなか前に進めなくなってきた。

自転車を降りて、電解質は?水分補給は?自己問診したけどこの体調不良の原因が解らない。

とにかく刻一刻と体調は悪化するばかりでどこか休める処を探しながら前進した。

しばらくすると全家(ファミリーマート)が見えてきて最後の最後気合で写真を何枚か撮って倒れた。

倒れていた公園
倒れていた公園

 

しばらくして気が付いた。 

鼻と口の周りが自分の吐しゃ物で汚れている。 いわゆる寝ゲロをしている。

天気がすこぶる良い。寝汗が凄い。 

代謝が復活した。

そういえば山越えの時は汗をかいていなかったんじゃないか? 身体のサイクルのどこかで異常があったのかもしれない。

ファミマでトイレを借りて、休憩室でもう少し休んだ。

帰国後あれこれ調べるとやはり 低体温症 と判明

 

11時15分、走り始めると直ぐ腹が減ってきた。 朝食べた物を全て吐き出してしまったから体は正直だ。

ちょうど瑞福食堂というベジタリアン食べ放題160円の店があったのでそこでお世話になった。 たまにはベジタリアンもいいね。 

 

食堂で燃料を補給を終えまた走り出した。 

しまった! ヘルメットを忘れた.

食堂まで戻らないと。

 

戻った。 いや戻り過ぎた。 また戻った。 

 

やっぱりまだ本調子ではないよう。

13時頃、赤い鉄橋を渡った。とにかく長い。

渡り切って分かったのは西累大橋という橋で日米台の合作であるよう。

そして西累(正確にはこれに虫へん)シールの町にも寄り道した。

ここは醤油と歴史文化的な建造物の町だと思った。

 

途中、自転車の修理をしたり、アヒルの養殖場を勝手に見学したりして19時半 嘉儀 に着いた。

嘉儀では安蘭居国際青年館に泊まった。一泊1600円。

ここに泊まった理由は、まずお値段が自分に合っている事、もう一つは映画KANOのシーンを再現した部屋が14階あってそこからの眺めはすこぶるよい。との噂を聞いたからです。

私は見事に外れた。

 

嘉儀に来るまで我慢していた事がある、それは鶏肉飯ジーロウファン。

 

この鶏肉飯、台湾全土、似たような料理だと東南アジア全域から奄美大島まである鶏ご飯、その大本山がこの嘉儀なのである。

やはりわんこそばは盛岡、鶏肉飯は嘉儀で食べてこそだと。

まずは酒を飲んだ。 昆布とゆで卵で 昆布はやはり日本だな。

そしてついに念願の 「嘉儀で鶏肉飯」 を実現し、

鶏肉飯に関しては海原雄山にさえアーデモナイコーデモナイと意見できる身分になった。

                                               つづき

                                               つづき