第七天 12月16日 嘉儀→台南 走行88キロ

7時半嘉義を出発 この日は嘉義から北回帰線を越え熱帯に入り、烏頭山ダムを抜け善化を過ぎ海岸線から台南に入る予定。

 

そこそこ走るので嘉儀でガソリンを入れる事に、2年前お世話になった大同鶏肉飯 ここのカレーライスは中華風カレー餡かけで、日本のカレーと中華飯を足して2で割った感じだった。

するとその話に菖太郎が食いついてきた「僕もそれが食べたい」

我々はここ大同鶏肉飯で鶏肉飯と咖哩飯を頼んだ。

 

すると店の女主人が「なんでこの店にしたの?」と 

そこで、2年前に偶然入って気になっていたから、と返すと

女主人は野菜炒め、ゆで卵、味噌汁などをサービスしてくれた上に

 

 

「お代はいらない」 と譲らない。 

ここ嘉義の南約30キロに烏頭山ダムというダムがあります。

日本統治時代、八田與市先生と台湾人が協力して造った当時世界最大のダム

このダムのお陰でこの一帯は荒地から豊穣の地へと生まれ変わりました。

そういった歴史的背景があり、この一帯では日本人から絶対にお金を受け取らないド根性な人達がいます。

また八田與市先生など日本の先人達が台湾に貢献したお陰で台湾は世界一の親日国になった事実も併せてお伝えします。

震災の時、当時の総統馬英九さんは1週間の間に3回も特別番組に出演し日本への支援を国民に呼びかけました。

これに台湾国民は大いに応えた。

 

国民一人当たり800円を超える金額が集まった。

ご飯をご馳走してくれた陳淑美さん
ご飯をご馳走してくれた陳淑美さん

さて本題に戻ります。

私はお代を受け取らない女主人にお願いして名刺を頂きました。

 

そして来年の予定としてこの女主人 陳淑美さん にプレゼントをお渡しする事を決めた。

 

ありがとう大同鶏肉飯 ありがとう陳淑美さん 

 

 

大同鶏肉飯 嘉義市仁愛路191号 

16時、台南の日本人宿はむ家に到着。

そして18時林百貨店で友人のジェイソン夫妻、楊一家と再会し半年ぶりの宴をした。

松仔脚純山碳烤という總趕宮内にある特別なお店。

どれもこれも美味しく菖太郎はテンション上がりっぱなし

ここまで頑張って走ってきた彼が楽しんでくれてゲバラも嬉しい。

菖太郎は知らない内にスーパー菖太郎になっていた。

 

2017年、ジェイソン夫妻は自転車で日本を縦断した。

その際、風の噂でゲバラの話を聞いた。 そしてゲバラ家に3泊して岩手を堪能した。

ジェイソンとゲバラは歳も近い、そして自転車という共通の趣味を持つ。

母国が違うという異母兄弟。

いつもこの旅に最大限のサポートをしてくれる恩人でもあります。

 

はむ家に戻って日本人一同で映画KANOを観て号泣してから寝た。


第八天 12月17日 台南→高雄 走行60キロ

10時はむ家を出発、途中国華街に寄り菖太郎は名物の鄭記土トウ魚羹を食べたが私は2年前これを食べて口の中を大規模に火傷した為食べなかった。

別に注意して食べればいいのだけどガラスのハートで直ぐトラウマになってしまうゲバラ。

 

同様の理由で萩の月とモンシロ蝶が未だに食えない。

 

台南から高雄へ走るには海岸線がいい。

貿易風が背中を押してくれ景色も最高。

1年前、半年前も走ったこの道 何度走っても飽きない。

 

 

途中で見た 難破船 は凄かった。

 

弥陀という小さな町の現窄牛肉という店で炒飯を2人で分けて食べた。

塩気が薄かったが超具沢山炒飯でした。

 

 

 

 

残る走行距離は20キロを切った。

16時半高雄の日本人宿あひる家に到着。

 

初海外 菖太郎22歳はやった。

 

震災時の感謝を伝えながら自転車で台湾を縦断した。

道中、一言も泣き言を言わなかったし、心の底から台湾を楽しんでくれた。

 

最初は心配ばかりかけていた菖太郎だけど高雄まで来て少し頼もしく思えた。

 

それと一番嬉しかった事は高雄の駁二芸術特区で菖太郎が言った事

 

「次来た時 ゆっくり観る」 つまり菖太郎の中ではまた台湾に来る事が決まっている。

 

この日の夜は六合観光夜市で2人きりの大宴会をした。

 

おめでとう菖太郎 ありがとう菖太郎。              つづく

 

                   つづく