第九天 12月18日 高雄→台北

7時あひる家を出発、高雄駅は臨時駅から新しい駅舎に生まれ変わっていた。

運よく8時発の普悠号(プユマ号)のチケットを入手できた。

このプユマ号は日本で製造されていて新幹線の次に速く人気があり当日入手できたのはかなりラッキーと言えます。

台湾7度目のゲバラもこれが初乗車でした。

 

我々はこれまで走ってきた道を眺めながら、思い出を語り合っている内に台北に着きました。

そして淡水の楽奇単車へ自転車を返却し、菖太郎のパスポートも無事発見された。

 

 

我々は楽奇単車の主人にまた来年も来ることを約束し、その約束の印として謝謝台湾旗2本を預かってもらう事にした。

隣のインドネシア料理の店でミーゴレンを食べながら菖太郎に聞いた。

 

「何がしたい どこに行きたい?」

 

すると菖太郎は北投温泉に行きたいと言った。 

 

縦断で酷使した身体に温泉は最高の労いになる。

菖太郎は即座に最高の選択をした。

 

自転車旅とは進路や荷物や宿、選択と調整の連続でもある。

その瞬間瞬間で最適な選択を繰り返し目的地にたどり着く。

今までその選択のほとんどを私に一任してきた彼の中で何かが変わった。

安全と引き換えに彼の自由選択権を奪ってきた私にとってそれは非常に嬉しい出来事だった。 

 

 我々は一路 新北投駅 に向った。

そこで菖太郎に1枚写真を撮ってもらった。

ゲバラと新北投駅の写真を・・

個人的な話で恐縮ですがゲバラには小学1年の時に亡くなった父親がいました。

家業を継ぐ為泣く泣く生物学者の夢を断念した父親。

その父親が学生の時、蝶の採集で台湾に訪れていた写真を2018年になって初めて見つけたのです。

55年前のその写真には新北投駅の前でポーズをとっている父親がいた。

 

だからゲバラも同じ所で写真を撮ったら父親がなんとなく喜ぶ気がしたんです。

 

 

そんな無益かつ有益な事をした後、我々は数ある温泉宿の中から熱海ホテルという所を選び入浴。確か200元位 いいお湯でした。

夜は台北駅の南側確か公園路20巷にある鑫耀鑫というお店に

路地の中で一番こざっぱりしていたお店 とても美味しかったです。

 

jongの家に帰って直ぐ床に入ったけど、この日はぜんぜん寝れなかった。

明日はこの旅最大のイベント 〔日本人咖哩飯〕 があります。

そのまんま〔日本人カレーを造る〕というイベントで台北駅前の恩友中心で岩手雑穀カレーと三陸海鮮スープをお振舞します。

 

いったい何人来てくれるか? 段取りにミスが無いか? 

今回は岩手県の 宮古市 大船渡市 からも食材提供を受けているので「失敗しました」は通用しない。 

時計はもう4時を過ぎているのに寝れない。

隣で爆睡している菖太郎が羨ましい・・

 

 そんなこんな完全に寝るタイミングを逸したゲバラは朝焼けを見てから8時まで寝た。


第十天 12月19日 台北  イベント当日!!

依然夢の中の菖太郎先生を尻目にゲバラは中山市場、三越で買う食材をリストアップした。

何か突発的な事態が起きない限り今日のイベントは成功する はず・・

 

我々は9時Jongの家を出発し、今日イベントを行う恩友中心へ行った。

スタッフと話し合い、調理開始を14時、お振舞開始を18時に決定。

 

それから中山市場を視察し購入予定食材を確認。

 

問題なさそう。

三越はまだ開店前だったので隣の「台北牛乳大王」店で名物のパパイヤ牛乳を飲んだりした。

2004年10月、27歳の時初めて台湾に来た時もこの店はあった。 

あの時はイスラエルの女と旅をしていて漢字が全く読めない彼女に Taibei Milk King と説明したのを覚えている。

それから14年後の2018年、42歳になって初めてその店に入るなんて人生分からない。

 

 

我々は三越が開店するまで迪化街(ディファジェ)を観光することにした。

どのガイドブックにも紹介されているこの街は歩いて行ける距離だったし、小学校1、2年の同級生に日本名瀬田さんという台湾人がいてこの街に一家のルーツがあった。

 

初めて行った化街はなかなか面白い場所でした。

古い趣のある住宅に乾物商や漢方薬の店が並んでいた。

中心部に市場があって2階は巨大生地屋、1階は食品と分けられていて寿司屋なんかもあった。

 

レトロな風情を残すこの街はお薦めできます。

さて三越に戻ってきた。

食材購入の前に 贅沢 をしました。

世界的に有名なレストラン 鼎泰豊(ディンタイファン) で小籠包を食べます。

7度目の来台で初めて鼎泰豊に行くなんて今までいかに節約していたかって裏返しなんだけど、人生メリハリも大事。 

 

11時に入店したがもう8割の席が埋まっていた。

あらゆる言語が飛び交っているので観光客が大挙して来ているのがわかった。

 

我々はビール、ノーマル小籠包10個、蟹小籠包5個、豚玉子炒飯 それだけを頼んだ。

それを2人で分けあった。

他の席と比べると些か貧相だが本当に貧しいのだから仕方がない。

 

美味しい物は、美味しければ美味しい程その表現が難しくなる。

オレも菖太郎も小籠包を一口、炒飯を一口食べ 暫し無言になった。

 

美味しい! ではなく なぜこんなに美味いのか悩んでしまう

 

高級な料理ではなく日頃庶民が食べている料理を徹底的に研鑽し極みを得た

それが鼎泰豊だ。 

 

ノーマルの小籠包、ノーマルの炒飯で世界最高峰のレベルを体感できた。

 

 皆さんも台湾に来たらぜひおすすめします。

さて美味すぎて忘れてしまったカレーイベント準備を再開。

 

三越と中山市場で大量の食品を買い2度往復してようやく食材を運び出した。

 

14時 いよいよ本番。

恩友中心のイベント担当者は想定客数は70人と言ったが、私はもっと多くの人が来ると考えていた。

それはFacebookの台日交流サイトでも告知したから飛び入りで参加者が増えるはず。

ゲバラと菖太郎はイベント担当者の意見をスルーして120食分造ることにした。

 

調理を開始して菖太郎の意外な特技が分かった。

この男 料理のいろはを知っていて、なかなか手際がいい。

聞けばいろいろなバイトを経験してきたそう。

こいつは中華電信の電波をキャッチするだけの男ではなかった。

 

我々は大量の食材を直径120cm位ある中華鍋で炒めそれを風呂のような寸胴に移した。

そこに10リットルの水を入れ120人分の入れ合わせた。

 

16時半、水の分量が多すぎたのに気付いた。

それは秤の目盛りが中華圏で一般的な500gではなく1㎏だった事で結果的に20リットルの水を入れていたという事。

ゲバラは慌てて三越に走りありったけのカレールーを追加購入。

 

結局、岩手雑穀カレーは280食分、三陸海鮮スープも280食分、主催者要請の70食からは210食も多い量を造ってしまった!!

1750分 造り過ぎたカレーは2階の調理場から1階に運び出そうにも誰も持つことが出来ない。

ゲバラは作り過ぎた旨、持ち出すことが出来ない旨、イベント担当者に伝えた。

 

すると担当者は集まってくれたお客さんの中から一番の巨人を捕まえてきて「この人どうでしょう?」と・・

巨人さんはやる気満々である。

何しろ自分が運ばない限り、自分もカレーが食えない・・

協力するしか無いのである。

 

巨人さんはおもむろに寸胴を持ち上げた、それから巨人さんと280食分カレーとの相撲が始まった。 何度も仕切り直しをしようやく1階のイベント会場まで寸胴を持っていった。

今日のイベント一番のヒーローは間違いなくこの巨人さんだ。

 

 

18時、定刻通り 岩手雑穀カレーと三陸海鮮スープのお振舞は始まった。

 

 

なんと作り過ぎた280食分のカレーとスープは僅か30分で無くなった。

 

殆どのお客さんがおかわりしてくれたし、最後無くなる時は3杯目おかわりの列でした。

 

お振舞が終わっても数人のお客さんが我々を待っていてくれ、これは本当に感動した。

 

昨日の夜は寝れない程悩んでいたのに、終わってみれば大成功。

 

たぶんゲバラの人生の中で一番成功した日がこの日だと思います。

 

 

20時、我々は台北の友人と合流し寧夏夜市で最後の晩餐を楽しみ

 

 

次の日 日本へ帰国した。


旅の記録

 

金銭データ

今回はほぼ自己負担だったのもあり金銭データを正確に記録していません。

菖太郎は台湾現地で一度6万円を両替しただけなので菖太郎は総額8万円、ゲバラは9万円位使いました。

前回の繰越金20650円はカレーのお振舞280食できれいさっぱり使わせて頂きました。

 

 

 

 

お渡しできた感謝の手紙 149枚

 

お振舞できた

岩手雑穀カレーと三陸海鮮スープ 280食

 

同行してくれた人  小原菖太郎22歳


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