12月1日
朝6時、新南旅社を出た。 ここは素晴らしい旅社だからこの時間は従業員家族全員まだいびきをかいて寝ている。
客を送り出そうとか部屋をリフォームしようとかそういう考えが一切無い。
ちなみに外国人であるゲバラへパスポートの提示も求めなかったのだから凄い。
500元さえ払えばお構いなし、こちらもあなたの素性は探りませんという感じなのか?
もう新竹はいい 大事な事は女の事でくよくよしない事だ。
新竹から彰化までは国道1号を南下していくのが最短らしい。
でも、最短とか無難ってのはなんか魅力がないように思えてしまう。
ゲバラは方位磁石だけを頼りにテキトーに南下した。
南下したつもりが海に出たので西に走っていた。
この方位磁石は狂っている・・
おとなしく国道61号線を道なりに走った。
それから20キロ位進んだ辺りでどこで間違ったのか高速道路を走っている事に気が付く。 これは事件だと思い直ぐに撮影を開始した。
雨で視界不良だった、それに走る事だけに専念していたから大きな道大きな道に乗り換えてしまい高速道路に来てしまったのか? ジャンクションなんて通過した覚えもないが間違いなくここは高速道路だ。
幸い直ぐ出口があってそこから自転車を担いで降りた。
暫く走り後龍とかいう辺りで登り坂に入った。
この坂は一大でんでん虫の繁殖地のようで車に潰されたでんでん虫の死骸がそこかしこにある。
でんでんむしむし カタツムリ♪
お前の 圧死❕ と歌の途中で死んでしまったカタツムリ
何匹か森林に返してやったけど まぁ焼け石に水だ。
坂も登り切りそれから通霄トンシャオという町までの20km間、謝謝台湾号は風になった。
果てしない海岸線を追い風を受けもの凄いスピードで疾走した
こんな素晴らしい体験は自転車旅でしか味わえない。
もし叶うならドローン撮影して
かっこいいゲバラを新竹の女に見せたい。
通霄の街ではセブンイレブンで弁当を食べた。
それと西を南と判断した100均の方位磁石に喝をいれた。
途中、追分駅という日本統治時代の建物を見物したり猫とじゃれあったりして17時彰化ジャンファに着いた。
彰化は本来立ち寄る街では無かった。
だから事前情報が無い。
駅前に行くと「扇型車庫」というのが歴史的建造物だと分かり観に行ったが残念、入口の係員によれば一般開放は16時までとの事。
ここに来る前に何人かの日本人を追い越して来たから彼らにもそれを伝えに引き返した。
すると彼らは日本のテレビ取材班で特別に許可を得ているとの事。
図々しくゲバラも彼らの一員だとバレバレの大嘘をついて中に入れてもらった。
お前は今さっき自転車に乗って来た奴だろう
追記 この取材班は2017年4月から一部都市で放映された
「超特急と行く 食べ鉄の旅 台湾編」という番組スタッフの下見でした。
しかし扇形車庫は嘘をついてでも見る価値があった。
素晴らしい!そこは機関車トーマスの実写版だった。
彰化ではなかなか宿が決まらなかった、薄汚いラブホテルなんかも結構いい値段する。
仕方がないので飲みながら街を彷徨った。
途中パチンコ屋があった。北斗の拳とか書いているので日本の機械を置いているのだろう。
おもしろそうなので撮影しながら中に入った。
このせいで野宿するはめになるとは・・・
(パチンコ屋の中の様子は後で動画を公開するからそれを見て下さい)
何というか殺伐としていて明らかにヤバい空気なんです。
そこにゲリラ的に撮影をしながら入店した私は日本語でリポートしています。
「なんだお前 コラ!」 それは店を出て二つ角を曲がった辺りで、実際には「エィ!」っと呼び止められた。
中華圏で「エィ!」っと腹から絞り出すような発声を聞いたら、あまり好ましい状況でないという事であり、相手は二人、どうみてもチンピラ、私は謝謝台湾号で逃げようとしたが、ギアがMAXで重たい状態、全然進まなかった。
直ぐに捕まった。
話が通じる相手ではないからもう頑張るしかない。
30代は喧嘩らしい喧嘩もしなかったのに40になっていきなりガチの喧嘩それもチンピラ2人。
人生とは藪から棒だ。
ゲバラは倒される時にわざと反動を使って相手の一人をアスファルトと私でサンドイッチにしてやった。 そしたらもう一人が上から踏みつけてきた。
必死の防衛本能で足をバタバタさせたら相手の軸足に当たった。
ゲバラが立ち上がるのとほぼ同時にサンドイッチマンも立ち上がってきた。
ピンピンしている。 サンドイッチマンは直ぐ飛びかかってきたのだけどそれから3秒位の間にいろいろあって大人しくなった。
今度は助走をつけて台湾号に乗った。
それから近くの銀行の駐輪場で身を隠した。悪い事してないのだけど。
どこの世界にも力の使い方を間違った奴らはいる。
疑似家族を形成し親分、子分、伯父貴と呼び合い、マッチョイズムを信仰している。
見栄と虚構で生きる人生一発勝負タイプだ。
とにかく、あまり行儀の良い連中ではないし彰化は彼らの地元ナワバリなのだから宿なんかに泊まったら夜中ドアを蹴破られてボコボコにされてしまう。
それに無理に彰化を離れても主要道路には彼らの義兄弟が張っている可能性もある。
私はその駐輪場に台湾号を止め、目の前の食堂に入った。
死ぬほど腹が減ってきたのです。
料理屋では一番奥の席に座った 目立たないが逃げ道も無い。
追われている身としては賢い立ち回りではないが、150キロも走って襲われた心と体には栄養が必要だった。
テレビでは日本の「噂の県民ショー」がやっていた。少し心細さもあったからみのもんたの軽薄な笑い声とかもプラスに作用した。
38度の白酒は直ぐに無くなった。
気が立っているので全然酔わない。
そしてついに禁断の58度の白酒に手を出した。
ツマミはモロヘイヤのお浸しと適当なスープだけだ。
酔いは突然きた。 グラグラ来た。やはり58度白酒は凄い。
脳みそが徐々にとろけていく陶酔感が半端ない。
だんだんチンピラどもに自分の行動を制約されていることに腹が立ってきた。
街に出た。 所謂「酔って気が大きくなって・・・」というやつだ。
しらふの今では信じられないのだけど私はもう一度違うパチンコ屋に行った。
撮影をしながら。 今度は店員に「会員証あるのか?」「帰れ」と追い出されてしまった。
その後私はホームレスの隣で寝かしてもらったのだけど、寝る前に珍事があった。
ビリヤード場に入ったつもりだった。 たぶん一晩そこでお世話になろうと思ったんだろう。
だけど進めど進めど調理場と巨大冷蔵庫ばかりで冷蔵庫の中を確認しても球もキューも無い。
納得いかなかったが店員が怒っているので店を後にした。
次の日この顛末を理解する。