第五天 12月14日 台中→鹿港 走行50キロ

この日は鹿港に向うだけ、走行距離も少ない。

巧合大飯店の朝食バイキングを食べた後、自転車のメンテナンスや事務処理をして11時に出発した。

 

突然昨晩の話に戻って恐縮ですが、かなり厄介な事件があった。

それは菖太郎が帰国便を変更したいとゴネたので、航空会社とやり取りをし

挙句クレジット決済を電話で強行した。

分かる人には分かると思うのですがこれは非常に危険な行為です。

航空会社との会話は「サービスの向上を図るため」録音されており

赤の他人に財布を預けるより危険な事なんです。

 

さぁ くよくよしても仕方ない。

 

我々は動漫彩繪巷からレインボービレッジを通過し途中慈済基金会彰化支部に寄り鹿港に着いたのは15時半

今年も鹿港小艾人文工坊背包客棧のお世話に

 

100年を越した古民家をリノベしたこの宿はとても良い。

我々は早い時間から飲み始め19時位にはしたたかに酔っていた。

菖太郎はどこからかウイスキーを入手してラッパ飲みしている。
22歳の大学生のくせにあいりん地区の労働者のような飲み方をする奴だ。

我々は衛生観念も希薄になりその辺の道路で猫達と一緒に寝転んで遊んだ。

歴史的建造物の街である鹿港は隠れた「猫町」でもある。

 

この夜は去年勇気がなくて行けなかった 自由拉麺 に行った。

大通りを避け敢えて小道に店を構え、「当店は味の素、粉末スープ等を使用せず純天然食材のみ使用」とある 

明らかに九州の豚骨ラーメンインスパイアで屋号は自由拉麺。

 

ゲバラは145元の地獄拉麺  菖太郎は120元の豚骨拉麺を

 

5分程する出てきた。 ビジュアルはいい。 でも赤くない。

地獄拉麺なのに赤くない。

 

そこで店主に地獄拉麺の定義を聞いたところ、ノーマル豚骨拉麺にパルメザンチーズを加えたのが地獄拉麺だそうだ 店主にとってチーズは地獄らしい・・

ゲバラは仕方なく七味をもらいチーズ拉麺を日本的地獄風にした。

 

さて肝心の味は・・

 

まず菖太郎が食べた。

反応が 薄い。   何を食べても うまい うまい と連呼してきたこの男が

 

オレも食べた。

 

かなりあっさりしている。 いや 薄い。 薄っぺらい・・

 

この自由拉麺はベースの豚骨濃度が薄いくせに化学調味料無添加だから味にパンチが無い。

塩分濃度も薄くこれは博多の病院食のような感じ・・ 

 

店主はチャーシューやらアイスまで無料で出してくれたが出汁は相変わらず薄かった。

後日、台南の日本人宿はむ家でこの話をしたら、これは台湾ではよくある話らしい・・


第六天 12月15日 鹿港→嘉義 走行87キロ

8時鹿港を出発 我々はあてもなく南下した。

この日は嘉義に到着すれさえばいい。 

方位磁石だけを頼りにローカル農道を走った。

これがとても良かった。

 

 咲き乱れる菜の花に無数の蝶が舞っていた  

 おじさんがバイクで追いかけてきてバナナを一房くれた

 2年前自転車を修理してくれた恩人に会えた

 

我々は景色や人情に感動ししばし立ちつくした。

 

 

途中日本人女性にも会えた

 

菖太郎は野生のサトウキビを食い始め、普通の大学生は完全に野生化してきた。

嘉義には14時に到着。

ちょうどこの日嘉義では国際ブラスバンドフェスがあって駅前からの目抜き通り約2キロでお祭りがありました。

世界中からブラスバンドが集まって出演者だけで1000人を優に超えていた。

見物人を合わせると1万人以上いたと思う。 

 

そうなると・・・

 

ホテルが心配になった。

 

直ぐユースに駆け込んだ。 「今日部屋空いてる?」

 

すると 「今日嘉義はどこも空いてないよ」 との事、当然と言えば当然

 

この街の宿泊業キャパに世界中から1000人も集まればホテルの空き部屋などない。

 

菖太郎にこの先の白河まで走る案を提示したが、疲れていて動きたくなかったのだろう。

菖太郎はスマホをいじりだし 嘉義の空き部屋 を見つけた。

中心部でしかも安い。 真珠大飯店

我々は半信半疑でそのホテルに行った。

 

 

菖太郎が検索ヒットさせた真珠大飯店は麻薬真珠系統のアジトのような佇まいだった。

 

恐る恐る入って聞いた。 「今日部屋空いてる?」

 

すると 「空いています」

 

2人でいくらですか?」

 

700元です」

 

部屋が空いているだけでも信じられないのに その上 安い・・・

 

部屋はなかなかの廃れっぷりだがwifiが飛んでいるのが笑えた。

 

真珠大飯店恐るべし・・宿泊キャパを完全に超えている 今夜の嘉義 でほとんど空室だらけだった。

 

 

我々は直ぐ部屋を出てビール片手にブラスバンド祭を堪能しこの奇跡を喜び合った。

 

そして嘉義に来るまで我慢していた鶏肉飯を食べた菖太郎は満足気だった。

 

スーパーズッコケ野郎菖太郎は嘉義で奇跡を起こした。

 

この日はシングルベッドに2人で寝た。

                   つづく

                   つづく