Day5 台中~西螺 走行91キロ

      半年前台中で行き会った中興国中生徒にサプライズ
      半年前台中で行き会った中興国中生徒にサプライズ

8時起床 雨が降っていたけどもう電車には乗らない、というか乗れない。

大切に持ってきた折鶴はこの先25キロの所にある中興国中の生徒37人の為に持ってきた。 

中興新村という小さな町には自転車という交通手段でしか行けない。

折鶴が雨水を吸ってしまう前に全力疾走する。

 

今年の6月根本蓮君を連れて台中を訪れた際、台中市役所前で中学生の集団と仲良くなった。一緒に写真を撮り別れる際、「今回は無理だけどいつか学校まで行くよ」と約束した。 そのいつかがこの日。

 

手ぶらで行っても世知辛いから折鶴を渡す。

9時台中を出発 珍しく市内で朝食を食べ中興新村へ 

 

途中自転車が故障し、結局中興国中に着いたのは12時過ぎ。


「生徒達にサプライズで会う」という事は 無断で学校に侵入する必要がある。

幸い中興国中のセキュリティは甘かった。 

 

生徒達は昼食後の昼休みで好き勝手にわらわらとしていた。

ある生徒に写真を見せて聞いた。「この学級の教室はどこ?」

すると驚くべき回答が・・・ 「已經ナントカカントカ」 何を言ってるのか分からないが

已經(イージン)とは もう~~ という言い回しだったはず・・

 

6月に会った生徒達はもう卒業したの?

まだ12月でしょ? なんで? 折り鶴はどうすれば・・

 

途方に暮れていると生徒は機転を利かしその写真生徒達の担任の所まで連れていってくれた。

担任は驚きを隠さずなかなかのリアクション これだけでも来た価値はある。

 

それと重大な事実を知った! 台湾の卒業式シーズンは 6月 との事。

 

中興国中を後にしてから目的地の西螺シールオまでは52キロ

17時までに着けばいいので急ぐ必要はない。

 

しかしここからが大変だった。

 

今回は完全防水ではない軽量簡易型レインコートで脇のベンチレーション(発汗蒸気口)から雨が侵入し全身程よく濡れていて体温を維持する為に毎時27キロペースで走った。

名間というちいさな集落から152号線に入り彰雲大橋を渡ったところで後輪がパンク

こんな時通常は予備のチューブに交換するけど後輪は一度チェーンまで外すから交換に20分は掛かる。

その間心拍数が下がると体温も下がる。

ゲバラは自転車を押して走る事にした。

 

 

ここから真っ直ぐ西に進めば西螺はある。 確信はあった。

 

途中、雨宿りしシャツを交換、前日相部屋の中国人から貰ったスニッカーズ2本を食べこれでだいぶ復活した。

それからゆうに10キロは押して歩いた。 この先に西螺があるのは間違いないのだが歩けど歩けど街の明かりが見えない。

もう辺りは真っ暗、堤防脇の道で誰の助けも借りられない。

時々すれ違うトラックから何度も土砂を浴びて身体はもう 有明海でムツゴロウを捕ってきました 状態。 

早く着かなきゃ・・

 

そんな時 善い人 が乗った車が停車してくれた

「どこまで行くの?」

 

西螺まで」

 

「まだ5キロはあるよ」

 

「だったら大丈夫だよ」

 

「大丈夫じゃないよ 自転車を車に載せて」

 

「無理だよ 入らないよ」

 

「自転車を載せれる車探してくる」

 

「・・・・・」

 

善い人は本当に自転車を載せれる車を探してきた。

そしてゲバラは泥まみれのまま車に乗って西螺に着いた。

今の日本で他人にここまで親切な人はあまりいないし台湾にもそれ程多くはいないと思う。

ただ台湾の人達の中で親切や思いやり、規律順守なんかを誇りにする言葉がある。

 日本精神 リップジンシン とか言うらしい。

 

今回私は初めて台湾で日本精神を体感した。

西螺ではSNSで知り合ったLiaoさんのお宅にお世話になった。

全身泥まみれでガタガタ震えているゲバラを見てLiaoさんはお風呂の準備をしてくれた。

事前の約束では泊まらせてもらう代わりにうな丼を作ってご馳走する約束だったけど、

この時,そんな余裕は無かった。

 

風呂で全身を温め生き返り、酒を飲み、本当に美味しいご飯をご馳走になった。

豚肉と何かの花と何かを干瓢みたになので縛った料理は何というのだろうか・・


Day6 12月7日 西螺~嘉義 走行60キロ

 

8時起床 Liaoさんが入れてくれた高山茶を飲んでからパンク修理に街に出た。

 

 

 

本当に偶然は重なるもんで西螺には懇意の自転車屋がある。

10西螺Liaoさん宅を出発、

 

この日は1年間待ちに待った日だった。

 

昨年の1215日大学生菖太郎を連れての縦断時、この西螺である男性がバイクで追っかけて来てバナナを差し入れて去って行った。

お名前も聞く間もなく・・

 

しかし幸いにもその時の動画が残っていたので動画から画像を切り出し、SNSで ある男性 の職場を探し出した。

そして日本から職場に画像を貼ってお手紙を出した。

返信は戻ってこなかったその職場に相変わらずの突撃をかます。

 

バナナおじさんの職場は町外れの氷屋さん、行ってみると大きな野菜冷蔵施設だった。

自転車のまま突っ込み職場をウロウロしていると事務所から「ウヲ~!!日本朋友!!」との大声が!!

会えた! 

見ず知らずの我々にバナナを差入れして疾風の如く去った蕭嘉文さんはあの時と同じジャンバーを着ていた。

 

たぶん手紙も届いていたのだろう。

 

バナナおじさんも風の噂で自分を探している日本人がいるって聞いていたはずだ。

バナナおじさん事 蕭嘉文さんはやはり粋な漢だった。

日本人がいつ訪ねてきてもいいように日本酒を用意していた。

午前中、仕事中、走行中、男同士の再会にそんな野暮は言っていられない。

 

我々は一緒に飲んだ。

Giant虎尾店 高技術、親切、丁寧、素晴らしいお店
Giant虎尾店 高技術、親切、丁寧、素晴らしいお店

蕭嘉文さんに別れを告げ145号線を南下していたらまたパンクし虎尾の街まで5キロ押した。

 

街で修理を終え虎尾鉄橋を渡った、昔サトウキビを運ぶ電車が走っていたとか・・

 

たぶん日本統治時代の遺産だろう。

15時寄り道を繰り返し嘉儀に着いた。市内をウロウロしてから

初めての小房子 背包客棧に投宿450

 

 

何か変わった事がしたくて人生で一番巨大なステーキを食らった。

嘉義市東區光彩街396號 我家牛排 12オンスのUS牛 490元 ゲバラの旅でこんな贅沢はかなり希少です。


                    つづき