第九天 5月18日  走行5キロ

いざ台南

921分高雄駅から台南への電車に乗った。

この日泊まる台南の日本人宿ハム屋さんのご厚意で自転車だけ先にチェックインさせてもらい昼飯へ

我々が台南に滞在する518日~20日わざわざ会社を休んでアテンドしてくれたのは呉女史さんで彼女が連れてってくれたのは 集品蝦仁飯 というお店。 

この蝦仁飯は数ある台南名物の一つで、どんぶりに蝦の煮汁で炊きだしたご飯をよそいその上に更に蝦を乗っけた蝦野家みたいな蝦丼で非常に美味い。

オレ達は蝦仁飯、肉の細切丼、アヒル卵スープ、目玉焼き、水蓮菜炒めをコロナ以前の食べ方で食べた。

しばし無言で食べた。

 

この日は14時から明日19日に開催するカレーイベントの打合せがあり、その予定のすき間を埋めるように呉女史があっちへこっちへ慌ただしく連れまわしてくれた。

なので時系列に記します。

 

1220分 原臺灣総督府専売局という保存建築内にある白雪珈琲で「昭和プリン」を頼み、その味に無き祖母を思い出し泣く。

 

1250分 上記専売局駐車場で死にかけた鳩を発見。 車に轢かれそうになるも林季貞さん+ご友人(高レベル善い人)が鳩を確保 動物病院へ連れていく。

 

13時半 台南恩友中心にて明日の打合せ

 

14時 高速に乗ってどこか北の方に行く 着いたのは    撮影をし近くの揚げ物屋(名物らしい)で食い倒れ

 

18時 小北市場で宴会。 私設台南観光大使のHsuさん合流。

 

21時 ハム屋に戻ってコンビニパスタで〆る。

 

まぁこんな感じの1日でした。

 

 

次の日にいく前にこの日あった重要な出来事を一つ

 

プリンに涙していたお昼、ふと外に出ると衰弱した鳩がいた。

何か鳩が食べれる物を探していると鳩はいなくなっていた。

あれだけ衰弱して飛びたてるはずはない。

 

いた。

 

鳩は走り出す直前の車の下に入っていた!

 

オレは走り出そうとする車のドアを開け「ちょっと待って」と言った。

中にいた女性2人は驚愕している。

なんせこっちは重度のモヒカンだ。

最初は強盗だと思ったかもしれない。

オレは運転手が発進できないよう抑えながら「車の下を見てみろ」と叫んだ。

助手席の女性が降りて車の下を見た。

何を言ったかオレには分からなかったが、助手席にいた女性は運転手に状況を伝えた。

 

その後我々はその鳩を確保した。

 

「病院に連れていきたいが・・・」 オレはそこで言葉に詰まった。

 

女性たちは言った。 「私たちが連れていく」

 

「じゃあ治療費は私が払うから連絡先教えて」 そう言うのが精いっぱいだった。

 

Lineを交換しその後連絡があった。

その素晴らしい女性の一人は 林季貞さん 

 

時々彼女達のような人がいるからこの旅を続けているのかもしれない。

これからも台南に行く理由ができてしまった。


第十天 5月19日  走行0キロ

スパイシーチキンカレー160食

8時起床 これまでいい感じに裏切ってくれる天気予報はこの日も大ハズレ。

大雨のはずが雨は一粒も降っていない。

観測技術とAIが発達した昨今においてこれは極めて稀な出来事だと思う。

 

隠れ家的な食堂で昼食を済ませ台湾版コストコ  大潤發  に行った。

大人でも2人は入りそうな巨大なカートを押してそこにガンガン食材を投下していく。

普段半額シールのばかり探しているみみっちいオレはここにはいない。

この時のオレは美味しいカレーを造る為なら些かの出費も惜しまない宮内庁の食材調達班だった。

 

 

調理場を提供してくれるのは前日下見に行った台南恩友中心さん

謝謝台湾隊は台湾サイドに土俵を用意してもらいはじめて相撲が取れる。

食材を用意調理し、台湾の皆さんにお振舞する言わば 花形 を演じているが、それは全て恩友さんら裏方のお陰で成り立っている。

またこの日は呉女史に加えHsuさんも急遽有給休暇を取って助っ人に来てくれた。

 

今まで台湾で提供してきたカレーは全てチキンカレー系で、この日お振舞するカレーもスパイシーチキンカレーだ。

短時間調理で美味しさを両立させるには味が浸透しやすいチキンが最も適していて、最後に豚とバターで味の調整をする。

そしてこのプロジェクトのは

SB食品のご支援を受けており〔エスビーゴールデンカレー〕を使用しています。

 

 

14時調理を開始した。

チキンの解体はオレ、野菜のカットは呉女史、炊飯は仁史君、そしてHsuさんが連れてきた新聞記者の対応はHsuさんがした。

オレの素性をあまり知らないHsuさんがオレに成り代わり取材対応するのは大川隆法の霊言を取材するのと同じ事だが、オレは料理をしながら取材対応できるほど器用じゃない。

 

後にこれがある珍事を巻き起こした・・

 

そして17時位だったろうか?

調理がひと段落ついたのを見計らいHsuさんが新聞記者を調理場に連れてきて

「台湾人に伝えたい事話して下さい」 とコメントを求められた。

既に新聞記者はスマホで動画を撮っている。

 

なんで新聞記者なのに動画を撮るの? 

 

頭の中が??????で飽和状態だったその時のオレの様子が

 

こちら

後日動画を見てオレは唸ってしまった。

 

モヒカン頭で堅い話をするオレは「小学校の先生」と紹介されていた。

なんでやねん!

 

 

18時 いよいよスパイシーチキンカレーのお振舞を開始。

我々は恩友さんが用意してくれたパッケージにカレーを盛り付け皆さんにお配りした。

 

自分で言うのは恥知らずだが、オレ達の造ったスパイシーチキンカレーは美味しかった。

 

やっぱ食べてくれた人達の笑顔をみると強烈なやりがいを感じる。


                        つづき