第四天 5月29日 慈済会本部へ  走行59キロ

花蓮から北に10キロ、街の外れに慈済会の本丸 静思精舎 はある。

そこで9時に職員の陳誼謙さん、通訳のハンさんと待ち合わせていた。

事前に頭に叩き込んでいた地図を思い出し静思精舎を目指すもやはり頼りない。

それは全て昨日の酒のせいだ。 

まだ頭の中に内田裕也みたいな奴がいてキチガイな行動をそそのかしてくる。

汗を絞り出してこいつをどこかに追いやらないとまずい。

 

そうこう考えている内に慈済会の本部 静思精舎 に到着した。 

慈済会の方々は朝早くなのに大勢で迎えてくれました。

台湾に着いてからスマホが使えず一度も連絡できなかったのに、半月前の約束を信じて待機してるって

やっぱ慈済の人達は何かが違う。

 

東日本大震災をテレビで観て

 

日本が大変だ~助けなきゃ~って

 

50億円以上自分達で出し合って

 

日本に行って直接被災者に手渡した

 

素食を貫いて節約し困った人達を助ける

 

それが慈済基金会  次元が違う。

 

50億寄付した国から7年後たった30万お返しに来た人 そんな俺ナウ。

 

肉を食い酒を飲み女も嗜む自分には近づけない生活が慈済にはあった。

 

さて慈済基金会を出て走り出した。

この日の目的地 池上 まではここから130キロ。

時間的にどこかで輪行(自転車を分解して鉄道利用)する事になるが・・

どこまで走ろう?・・

 

 

ゲバラは東華大学まで行って志学駅から池上を越えて台東までワープした。202元700円

 

台東駅の猫駅長
台東駅の猫駅長

16時台東駅到着 およそ1年ぶりになります。

そして あの あの あのネコ駅長も!!!

ちゃんとご出勤! ご苦労様です。

一年前にすれ違った野良ネコが駅員さん達に認知され駅ネコになっていた!

 

この後台東市内をこれでもかと徘徊し安い宿を探したが見つからず、猫宿の旅享家民宿のお世話に 900元2800円なり。

雄のメイクイーンと直ぐに仲良しになって一晩共に至福の時


第五天 5月30日 この景色一生忘れない。  走行65キロ

昨夜立ち寄った食堂の麻婆豆腐は美味しかった。

だから調理したオヤジさんにその味を称えたが、これが逆効果だった。

 

麻婆豆腐

日本人の多くが永谷園という幼稚園でその味を知り、その味で一生を終えるが、運の良い子は陳健一の四川飯店なんかで補習を受け天狗になる。

その後、好奇心旺盛な一部は中国四川の元祖陳麻婆豆腐店なんかに行って月面着陸した気になって帰ってくる。

そして麻婆豆腐を食べる度、偉そうに「本場の麻婆豆腐は~~」と語るから一瞬一目を置かれるけど結局嫌われる。

 

例えとして適当でないが、本場のサッカーを知るセルジオ越後が解説の仕事を干されたように、本場の麻婆豆腐を解説すると嫌われる。

 

実は本場四川だけでは飽き足らず、中国各地で麻婆豆腐を食べ味の変化を確認し、

麻婆豆腐道を極めんと豆板醬の工場見学など、あまり意味のない事までしているゲバラ

だから昨晩、店のオヤジさんを捕まえ偉そうに「解説」してしまった。 

美味しいときは笑顔で「好吃ハオチー」だけにすべきだ。 特に酔った時は・・

感謝を伝える為に来ているのに、不快な思いをさせてしまった・・

台東から大武へ
台東から大武へ

9時半、台東を出て南下開始、この日の目的地は 大武 

何もない田舎町だけど田舎には田舎ならではの良さがある。

昨年立ち寄った 水連 も食堂が1軒しかない町だったけど、食堂が急遽飲み屋になり

「水連にきた日本人を励ます会」が始まった。 そんなこと台北では絶対にありえない。

 

地球規模でに田舎には 異常にホスピタリティ精神が旺盛 な人がいてこれまでいろいろな体験ができた。

人が少ない田舎にこそ多くの出会いがある。

この旅を通じてそれは確信に至った。

この日も気温は35℃の真夏日だけど潮風が心地よく、東海岸特有の絶景に何度も奇声をあげた。

山手線で同程度の奇声を発すると2つ先の駅で警官が乗ってくる。

田舎はやはりいい。 東海岸はすこぶるいい。

 

台湾は東と西で違う国な感じさえする

17時大武に到着。

本当に小さな町だがそれなりに賑わいがあるし夜市もある。

お目当ての輔都旅社、ここは自転車野郎歓迎の宿1泊500元1750円で個室エアコン付き、岩手にはスキー場の近くであえてペンションブームに乗らなかった民宿が多数あったがそれに近い。

洗濯機も家族と共用で、宿というより親戚の家みたいな感じ。

 

今回は釣竿を持ってきたけど釣りをする気力がない。 

走り終えると釣竿よりビールに手が出してしまう。

というか釣竿は余計な持ち物だった。

使う機会なんてないくせに岡本も1つ忍ばせているし、こんな奴は死んだほうがいい。

大武の夜市は宿から道を挟んで直ぐの所にあった。

いつも通り、白酒をペットボトルに移し替え、水を飲むふりをして53度の酒を食らう。

こうしないと持ち込み禁止だとか言われる。 

ゲバラは野外ステーキの店に入った。

朝からず~っとバナナと水分だったから身体が肉を欲しがった。

 

奮発してステーキ大を頼んだ180元630円

こんなのがきた。  これが大武のステーキである。 正確には大武ではステーキである。

貧相だが‘洋風デコ‘でガサツな感じも田舎町なら許せる範囲  期待しつつ一口食べた。

 

        

        まずい!  ひたすらにまずい!

 

 

オレにはこのマズさを表現する能力が無い。 日本なら保健所が動き出すし、山口組の人なら鉄板を叩きつける。

 

でもこれが大武ではThe Steak it Americanなんだ。 子供達はむしゃむしゃ食べている。

どれだけマズイのか一度足を運んでぜひ食べてほしい。 ゲバラン三ツ星 大武ステーキ

 

生まれて初めてマズさで感動した。

寝る間を惜しんで人の3倍努力しないと肉をこれだけマズく焼けない

やっぱ田舎はいい。


第六天 5月31日 2度倒れ警察に助けられる 走行73キロ

7時宿を出て走行開始。

この日から断崖山岳ルートに分け入ります。

達仁という最終補給地点で消化の良い麻醬麺と豆乳そしてポカリ1リットルこれで峠まで行くつもりだった。

積荷を軽減して一気に登りきるはずだった。

自分にはそれができると思っていた。

 

思い出したくもないけど、その後ゲバラはジャングルで水切れしを起こし引き返した。

完全な脱水症状からの回復には時間が掛るし、なによりもう一度気持ちを作るのが無理だった。

 

フラフラと大武まで戻り台湾号と一緒に枋寮まで文明の世話になりました。77元270円

 

そして枋寮から東港を目指し再び走り始め20キロ過ぎたあたりで全身痙攣で倒れてます。

倒れている時の記憶はおぼろげ 

あ~ヤバい 倒れそう  それから空白で  横たわっている そんな感じです。

 

こうなってくると思考できない。 次にあった警察署に保護してもらった。

 

ゲバラは屏東県政府警察局 東港派出所 高聖峰さんに助けられた。

 

 

警察が選んだ宿は良かったがゲバラには高すぎた。1泊2400元だという。

でも他に選択肢はないし、立ち上がれないのだから移動ができない。

フロントのソファに倒れながら口先だけで1200元4200円まで値切り、ホーキング博士の偉大さを知った。

 

自分でも呆れるがこんな日も気力を振り絞り飲んだ。

                        Day 7 8 9はこちら