第七天 12月5日 嘉義 全てはこの日の為に 走行16キロ

6時半頃目覚まし時計で起きた。

一瞬瞬自分がどこにいるのか分からなかった。

なんだこのサイケデリックな空間は・・

確か今オレは台湾にいるはず・・そうだ今日は授業当日だ。ここは小学校の図書室だ。

 

寝袋を畳んで7時から小学校正門前での交通誘導をする。

こんな時代に戻りたい・・大人なら誰もがそう思う。

でも戻ったところでそんなに現状と大差はないとも思う。

 

8時半の授業開始を前に小学校隣のセブンイレブンに駆け込んでお茶を2本買いこんだ。

オレという人間にお茶をぶち込み昨日の酒を排出しないといけない。

いつもこんな朝は頭の中に内田裕也みたいな悪魔がいて奇抜な行動を唆してくるがこの日はアントニオ猪木がいた。それは後でわかった。

 

1時間目は、たわいもないオレの話や故郷盛岡市の話に併せ様々な単語を日本語、英語、台湾華語、スペイン語にしてラップで歌う多言語ゲームなどをしたが、一番盛り上がったのは生徒達に闘魂を注入した場面だった。

オレは前後の脈絡も関係なくいきなり 「台湾人ですか~?」 と大声で叫んだ。

そして生徒達に言った。 「君たちは台湾人なんだから はい私達は台湾人ダー! と返さないといけないよ」 と闘魂教育を始めた。

結局これが場外ホームランで学校を去るまでの間5回以上 ダー をした。

2時間目はタピオカミルク作り、3時間目は盛岡冷麺作り、4時間目は大谷翔平の目標達成シート作りに時々猪木。

 

オレはこの日知った。

台湾人というのは世界でも有数にアイデンティティーが侵されている人達だ。

オリンピックにもへんてこな名前でしか出れないし、国連にも加盟できない。

そんな人達が自分達の存在を大声にするというのは爽快感が伴う。

死してなおアントニオ猪木は台湾の子供達に勇気とIdentityを与えた。

 

オレは生徒達と一緒に給食を頂き最後の闘魂注入を済ませ山を下りた。

 

 

安蘭居青年旅舎泊

 

 


第八天 12月6日 いざ台南へ 走行97キロ

7時に宿を出て7時半~9時まで嘉義駅前で感謝の辻立ちをした。

これをする時は覆面マスクをする。 

それは別にふざけている訳ではくて、一個人の存在を消す事ができ日本を代表してお礼ができる。

オレは政治家になるつもりもないから顔も名前も売る必要はない。

1時間半辻立ちし何故か50代の韓国人トレッキング集団に取り囲まれたり、やたらと演歌のYouTubeを見せてくる謎のおじさんになつかれたり、なにかと想定外の辻立ちだった。

 

9時ちょい過ぎ嘉義を出発し台南へ向かった。一般的な1号線でもなく、いつも通っている白河ルートでもなく、初開拓の西側ルートを選択し鹿草 五間暦 鹽水 新営太子宮 19甲線 麻豆(ここで昼食)173号線 西港 を通って目的地の台南市東区に到着、謝謝台湾隊台南支部に荷物を置き真っ先に向かったのはマッサージ。

ここまで身体はよく動いてくれているが、肋骨骨折をかばいながら走っているのでなんか変だった。

1時間950元のマッサージで身体がだいぶ軽くなった。

その後知人を紹介されたり酒を飲んだりし21時には寝たようだった。

この日紹介された 腐豆腐 はなかなかの「発見」でした。これはイケる。

 

謝謝台湾隊台南支部泊 0元

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