第五天 5月14日 花蓮~長浜  走行110キロ

6年ぶり!!あの子供達と偶然再会!!!

 

6時半起床 ビタミン剤を分け合って飲んでから直ぐに出発の準備した。

昨晩はきっちり炭水化物を摂ったのでオレ達の肝臓と筋肉にはエネルギーが蓄えられている。

こんな時は変に食うより、内臓が軽いまま走って距離を稼いだほうがいい。

7時半出発し花蓮の国道を南下すると直ぐに慈濟基金会の巨大な「もはや城」が見え数千人の人が整然と祈祷していた。

 

(この慈濟基金会は東日本大震災の時、被災した全世帯に対し家族数に合わせ37万円

総額数十億円を援助した ありえない組織 だ)

 

これは予定を変えてでも参加しなきゃなやつだ。

小一時間慈濟の方々と一緒に釈迦の生誕祭に参加した。

 

さて海岸山脈に入った。ここから台東までの170キロは逃げ道がない。

雨が降りそうだけど腹をくくって走るしかない。

 

1145分、立ち入り禁止もなんのそのの精神に則り正々堂々と水蓮に着いた。

 

 

6年前の2017516日オレはここ水蓮で原住民の家に泊まらせてもらった。

お爺さんに寝たきりのお婆さん、それに3匹の餓鬼がいた

一宿一飯の恩義でその3匹の餓鬼と日が暮れるまで鬼ごっこをした。

そんな餓鬼達の6年後に今日会えるかもしれない・・

 

6年前お世話になったお宅へ行った。 玄関で「誰かいますか?」と叫んだ。

しばらくすると中学生位の女の子が来た。 見覚えがある。 この子だ!

網戸越しにオレを見ている。

 

6年前 オレの事覚えているか?」 と聞くと 「覚えていない」 という。

 

もう一匹中から出てきた。 これも見覚えがあった。

当時まだ話せなかったちび助だ!

 

日が暮れるまであれだけ一緒に遊んだのに餓鬼達にオレの記憶はなかった。

 

 

そこで6年前の写真をみせると 「これ僕だ~!」と気づいてくれて、ようやく不審者から旅人へ格上げされた。

山を越え谷を越え水牛に出くわし雨の中ずぶぬれになっているのも忘れ走り続けた。

走っても走っても代り映えのしない海岸線をつらつらとつらつらと

無心の境地の中オレ達は走った。

 

目的地の長浜に着いたのは19時過ぎで辺りは真っ暗闇だった。

真っ先にコンビニに行き酒と食料を調達し、予約していたコテージ 晨天長光 に着いた。

2人で1500元。

泊まってみて分かったのは宿主は放任主義で対応は80点。

可愛い猫が宿の警備員をしているのが100点。

放任主義(宿主は夜間いない)だからある意味やりたい放題できるのが100点。

そんな宿で2224分まで宴は続いたらしい・・

 

そういえば豊濱のセブンイレブンで優しい人からエナジードリンクを差し入れして頂いたな・・

 

この日に限らず毎日そうだ・・ 謝謝台湾。


第六天 5月15日 長浜~台東 走行96キロ

オレ達、全財産を拾う

 

5時半に起きた。

小雨が降る中一人釣りに行った。

わざわざ持ち込んだ釣り道具の出番だ。

釣り場を移動する事2回総キャスト数も2

敗北感しかない人生で一番しょっぱい釣りをした。

 

宿に帰ると仁史君はテレビの天気予報とにらめっこをしていた。

これから先の1週間オレ達が行く先々を狙って雨が降る予報だ。 

 

あんまりいい気はしない。

10時半 この日の出発は遅かった。

目的地の台東までは90キロちょっとで道も平坦だ。

6時間も走れば台東に着く そう思っていた。

 

宿から出て直ぐに金剛大道という自転車道があってせっかくだからと通ってみたら、あらちょっと奥さん聞いてよと周囲に吹聴したい程素晴らしい道だった。

 

写真のデータによると1150分長浜から18キロ走った辺りで 落とし物 を拾った。

中には通帳やはんこや船員手帳など個人情報と財産が集約されていたので警察まで持って行った。

拾った場所から9キロ先にあった忠孝派出所に届けるとそれからが大変だった。

通帳やはんこなどA級貴重品だからなのか拾得証明書の発行手続きで1時間以上待たされた。

 

その上台湾警察の朱肉の染料にはなんだかの皮膚浸透するケミカルが入っていて拇印を押した親指は洗っても洗っても2日間赤いままだった。

6年前の思い出を探しながら台東へ着いたのは19時過ぎ

探していた安宿が見つからずこの日は流しで値段交渉した 台東自由風民宿 という宿のお世話になった。700元位だったと思う。

適当に街で飲んで飯は部屋で食った。

 

 

12時就寝。


                           つづく