7時 オレ達は朝の台東をブラブラした。
そして定番化しつつある自助飯屋で朝食。
大雨の予報がハズレて幸せなオジサン二人は9時台東を出発し80キロ先の大武を目指した。
走行直後、見事なパラシュート落下部隊(落下する花)と遭遇 これは凄いと言わざるを得ない!
その後台東から30キロ走った辺りでバイクに乗った女性が追っかけてきた。
「ウォーチーダォ! 私は知っている!」とか叫んでいる。
話を聞くと、どこぞの誰かがFacebookにオレ達の写真を投稿したらしい。
その後向かったのは 太麻里平交道 という踏切。
ここは台湾版スラムダンクの聖地らしく 映える写真目当てに人が来るそう。
一応今回の旅のテーマが「フォトジェニックな旅」であるオレ達はその踏切で2人並んではいチーズと写真を撮ってもらった。
まさかこの時撮った写真が5日後
台湾最大の発行部数を誇る、自由時報全国版1面に掲載されるとは・・・である。
これは多くの奇跡が重なった結果の出来事だった。
後に記します。
本編に戻ろう その後オレ達は金倫大橋を渡り切った所で釣り人を発見した。
これは!! もしや!! 男のロマンチカ?
ドローンフィッシング ではないか?!
海まで下りるには回り道をしなければならないけど、1%でもドローンフィッシングの可能性がある場合 オレ達はどんな回り道をしてでも行く。
それくらいドローンフィッシングには魅力がある。
急がば回れ、オレ達はいちど河口から上流部に向かい河川に出て再び河口、つまり海に向かった。
辺りは無数のこぶし大の岩石が人為的に整理されている。
これは豪雨で河川が暴れた時に上流域から流されてきたものだろう。
少なく見積もっても東京ドーム20杯以上の容積はある。
どこにも行く当てのない岩石は河口両脇に集積されており海岸線に高さ30m程の不自然かつ自然な構造体となっていた。
釣り人はそこに車で乗付け岩石構造体の突端に釣竿をモアイ像のように並べていた。
オレは「ディヤオラマ? 釣れたか?」と釣り人に話しかけた?
釣り人は首を横にふった。
高さ30mの突端から竿を振り出すにはあの方法しかない。
釣り人は車から出てくるのが億劫なようだったが、オレ達が日本人だと知ると車から出てきた。
見せたいものがあると トランクを開けて特大の8軸ドローンを見せてくれた。
釣り人は最先端のドローンフィッシングをしていた。
いわばオレ達はドローンフィッシングを釣った。これはデカいぞ!!
その釣り人は過去に釣りあげた巨大魚の画像を何枚か見せてくれたが、どんなデカい魚を釣り上げるより大海原で男のロマンを追っているオジサン自身のほうが凄かった。
15時半 目的地の大武に着いた。
宿は6年前も泊まった 輔都大旅社 一泊500元。
大武の思い出と言えば簡素な夜市のあの不味いステーキだ。
6年前オレはあれを食った瞬間、美味いのか不味いのか分からなかった。
何度か噛みしめ分かったのは、これは結構不味いやつだということ。
完食するのを諦めフォークを置いた時確信したのは、人の3倍努力をしないとこれだけ不味いステーキは焼けないという事。
あの不味いステーキを仁史君にも食べてもらうはずだったが・・・
シャワーと洗濯を終えたオレ達は吸い寄せられるように海岸に行った。
太古の風景なままの海岸線 遠くで釣りをやっている人がいた。
名前は楊曜華さん この晩の予定を劇的に変えてくれた人だった。
楊さんも大海原にロマンを求めるドローンフィッシャーだった。
一人で釣りをしていたのが寂しかったらしく、オレ達にビールやつまみを勧めてくる。
オレ達はこの機会を逃さなかった。
ただの見物客ではなく本格的なドローンフィッシングを体感する為に一度宿に帰って態勢を整え再び海岸線に戻った。
酒好きな楊さんにキリン一番搾りを渡し仲間に加えてもらった。
台湾の海岸は非常に遠浅な地形をしている。
海底掘削し漁場整備する事もできるが、そうすると近平の手下どもまで入りやすくなってしまう。
長年このジレンマに悩まされてきた台湾の太公望達にドローンフィッシングという革命は一瞬のうちに広まった。
「遠浅で大きな魚が入って来れないなら、大きな魚がいる所まで飛ばせばいい」
台湾には2つの世界最先端がある。
一つは半導体製造。
もう一つがこのドローンフィッシング。
楊さんはただの酔っぱらいにしか見えないけど、侮るなかれ最先端ドローンフィッシャーであり、遠くのポイントに仕掛けを投下した後、自らの頭上までドローンを操縦し直接キャッチしてみせた。
肝心の釣果のほうは小物続きだったが、多少の雨ももろともせず大海原でビールを傾けているオレ達は美しい。
懐中電灯を消すと波の音しか聞こえない漆黒の闇の中、楊さんは大人の火遊びを始めた。
絶対に着火するはずのない流木を集めそこにガスバーナーをあてた。
オレ達も半信半疑で手伝うこと20分
2023年5月16日20時
強烈な北風と小雨が降る中
楊一味は台湾東部海岸線において火事をおこした。
この時仁史君が心に染み入るような言葉を発したけど、何を言ったか忘れてしまった。
まるで地軸の中心がこの燃え盛る炎にあるような幻想的な夜だった。
朝起きたら珍しく仁史君のほうが先に起きていて部屋にはオレ一人だった。
天気予報を見ようとテレビをつけたら大谷さんが投打に大活躍されていた。
彼は記録が残っている有史以来最高のアスリートだから彼を形容する言葉にも前例がない。
オレも3年前位に偶然NHKの街頭インタビューを受け、「地元の誇りです」という感想だけしか出ず、自分の語彙の幼稚さに呆れ、ディレクターに「放映しないでくれ」と要請したが放映された経験がある。
仁史君が外から戻ってきた。 紫色の食べ物のような物を持っていた。 どうやら古代米で作った粽のようだった。
仁史君は美味しそうに食べていたけど、朝から訳の分からない紫色を食べれる奴だから一緒に旅ができるんだと妙な確信を得た。
オレ達は大武9時26分~潮州10時21分の自強号(まあまあ速い)に乗った。
見るからに新しい車両は日立製作所2022年製だった。
車窓にはマンゴー畑や養魚場が忙しく映っていた。
潮州は晴天だった。完全に真夏のカンカン照りだった。
急いで自転車を組みなおし友人が出社しているであろう事務所に向かったが事務所はもぬけの殻だった。
友人に連絡を入れた。 すると午後一番で戻るから待っててとの事。
さてそれまでどうするか・・・
実はオレ達は鮮魚を抱えていた。
昨晩わざわざドローンまで飛ばして男のロマンを追い求めた大武での釣果は
なんと魚種不明の手のひらサイズ2匹というこれまた壮大なオチであった。
この時のオレ達の達の中には紛れもなく魚も入っていて、そいつらが異臭を放つのは時間の問題だった。
オレ達はそいつらを食う事にした。
「こいつで何か作ってくれ 金は払う」 周辺の食堂にお願いをしたがやる気のある奴は一人もいなかった。 この辺の奴は情熱がない ハガヤロウー。
そんな時思い出したのは昨年ここ潮州に来た時、ガチョウを放し飼いしているお茶屋さんがあって、そこの息子さんと仲良くなったなと、そのお茶屋さんに行って冷蔵庫を間借りさせてもらえないだろうか?
「息子の友人」を名乗る怪しいモヒカンに、お茶屋さんは冷蔵庫を貸してくれたのか?
答えはYESだった。
それ以上だった。
潮州の彰春茶荘のお母さんはオレ達のブツを冷蔵庫に入れてくれ、お父さんは「お茶屋に来たんだからお茶でも飲んでいきなさい」 と最高級の春摘み高山烏龍茶を標高別に3回づつ計9杯も御馳走してくれた。
茶道のサの字も知らないオレ達だけど、今自分達がもの凄く貴重な体験をしているっていうのは分かっていた。
この時飲んだ茶葉は真空密閉させ更に 冷凍庫 で保管している。
それだけ厳重に保管している茶葉を惜しげもなく振る舞ってくれている。
仁史君は「オレ達が飲んでいる烏龍茶とはぜんぜん違うじゃんか」と言っていたけど、オレもそう思った。
日本で普段飲んでいる烏龍茶(中国福建省産茶葉)をネズミだとすれば、この時飲んだ高山烏龍茶(台湾阿里山、梨山産)はハリネズミだ。
どちらが美味しい不味いという比較論ではなく全くの別種 別の物なのだ。
試飲させて頂いた3種の高山烏龍茶をそれぞれ最小ロットで購入した。
片手で十分乗せられる量で5000円以上したから、裏を返せばそれ程高級な茶葉を惜しげもなく試飲させてもらった訳だ。
日本に帰ってきてから自分でお茶を入れるようになった、これは習慣化しつつある。
14時潮州を出発し17時高雄の少し外れにある 紅毛港保安堂 に到着。
日本の軍艦を祀っているお宮の噂は聞いてはいたけど、これまで行っていなかった。
わざわざ行く動機づけとしていま一つ足りなかったのかもしれない。
だが、そのお宮 紅毛港保安堂 には絶対に行かなければならない理由ができていた。
なんと紅毛港保安堂は昨年凶弾に倒れた安倍元首相の銅像を建立した。
仁史君にとっては安倍元首相は大学の先輩にあたる。
これは行かねばなるまい!
18時 高雄の常宿 背包41 に到着、4年ぶり8度目の宿泊になった。
ここに泊まったら必ずあれを食べる。 そう王記牛肉麺の 麻醬乾麺 !
高菜とにんにくと酢をたっぷり掛けて至福の時間