さて3年ぶりの台湾縦断です。
なぜ3年ぶり禍という説明は必要ないでしょう。
この長い休眠期間中は台湾パイナップルの販拡運動や台湾フェスでの登壇など天下りした公務員程度の活動でした。
2022年10月13日事実上の国境封鎖は解除され我々は再び台湾縦断する事を決めました。
今回走行するのはおなじみの銭ゲバラ(8回目)と鈴木仁史(初台湾)の幼馴染コンビ。
46歳だけど二人とも腕立て100回朝飯前のスーパージジイで極度の酒飲みで適度なロリコン。
大変な事もあったけど、
この幼馴染ジジイ達は結果的に過去最高の台湾縦断をする。 注記(ゲバラとオレは同一人物です)
6時に起きて大浴場に向かった。 最近利用するこの上野のカプセルホテルには大浴場があって3年ぶりの出国を前に朝風呂に入るという行為は身を清める儀式のようでいい。
7時半、成田へ向かう前に立ち食い蕎麦屋に行った。
オレが48番のとろろ飯、仁史君は49番の朝納豆定食 共に400円
いつもフライト前は飛行機が墜落した時に後悔を残さぬよう【庶民でも手が届く御膳】みたいなのを食べるが、二日酔いのオジサン二人が朝一でそんな御膳を食べたら高確率で機内ゲロをしてしまう。
一応なんとか46まで生きてきて「こういうことをするとこうなる」を経験則として知っている。
46歳、二日酔い、上野、7時半、これから海外、という状況において我々は賢い選択をした。
京成スカイライナーで成田空港に着き、先に送っていた荷物やwifeなど受け取った。
出入国制限が緩和されたとは言え空港は閑散としていた。
コロナ禍直前3年前2019年12月の出国時と比べると旅客数、空港店舗稼働率ともに4分の1いやもっと少ないだろう。
我々を乗せたボーイング787は定刻通り12時台湾へ向けて飛んだ。
機内で仁史君と話して分かったのは、この男は台湾に関しての基礎知識が全くないというよりも、全く知らないまま行ったほうが楽しいと信じている正統派台湾無知男だった。
アメリカの国力を知らぬまま太平洋戦争に突入した日本最大の失敗は仁史君の人生にうまくフィードバックされなかった。
何のトラブルもなく飛行機は予定通り15時台湾に着いた。
空港では抗原検査セットを渡され、2日おきの自己検査を要請された。
隔離はされぬものの、我々は明日から数えて7日間「自主防疫7日間以内的旅客」という身分でこの期間中はいつも利用しているドミトリーやゲストハウスなどには泊まれないし、いろいろな制限が課される。
これは過去7回の縦断と大きく違うところだし、異常すぎる円安のせいで金銭的ハードルも過去一で高くなっていた。
この縦断旅を始めた2016年は 100元=320円 だったが2022年11月のレートだと 100元=500円 なのだ・・
謝謝台湾 がんばれ日本。
空港から台北市内まではまだ明るかったのでMRTに乗った。
国光のバスもいいけれど、MRTのほうが眺めがいい。
台北市内到着後、北門近くのクロネコヤマトからりんごジュース等を台湾各地に発送。
今回は通常の活動に加え「旅するりんごジュース」という企画も同時進行する。
我々は予約していた西門町にある星西門行旅という宿に迷いながらも到着。
一人一泊998元(約5000円 円安の影響)なり。
ちなみにこの西門地区は台湾の原宿なのだが歩いて10分もしない萬華地区は台湾の歌舞伎町で1か月前も発砲事件があり、駆け付けたおまわりも撃たれ犯人は自殺するという大人の火遊びがあった。
ゲバラと仁史君はシャワーを浴びた後、そんな事件現場を散策しながら酒を飲んだ。
そして 兄弟げんか で有名になってしまったとある牛肉麵屋へ行った。
それは洛陽街にある健宏(兄)富宏(弟)牛肉麺という店。
この2店舗は兄弟げんかが過ぎて1店舗が分裂した結果の2店舗らしい。
そして数年前に弟の富宏牛肉麵だけビブグルマンの星を獲得したそうで兄健宏の心中は察するに余りある。
継承者の道をケンシロウに奪われグレてしまったラオウのようにさせてはいけない。
この晩、仁史君は兄弟げんかを仲裁すべく健宏牛肉麺、富宏牛肉麺その両方で牛肉麵を食べた。
8時半お世話になった星西門行旅を出た。
せっかくだからと近くの名物料理 阿宗麺線 へ行った。
開店10分前だったが、着いた瞬間店の主人が「大きいの小さいのどっちにする?」と聞いてきた。
我々は小にしたが日本に戻った今現在は大にしとけば良かったと思う。
その後複数の引き渡し業務をこなし、かれこれ10年のつきあいがある友人のJONGの家(Happy famiry2跡地)に行ったらなんと・・JONGは引っ越してしまっていた。 これが3年の歳月ってやつか・・
「66歳にもなったから もうゲストハウスは閉めるよ」と言っていたJONG。最後にあったのは2019年の12月だからもう70歳になっているはず・・
あの人に会いたい 的な捜査網を張る必要はないけどいつかつてを頼りに会わないといけない。 その位オレはJONGの世話になった、なんせJONGはわざとオレの部屋に女客をぶち込んできたのだ。
11時台北の北MRTの終着駅淡水に着いた。
ここ淡水の楽奇単車という店に我らが謝謝台湾号2台は保管されている。
いつもの陽気な主人はいなかったけど、他の店員が準備してくれていた。
2022年11月29日正午ジャスト 天気も上々!
銭ゲバラと鈴木仁史の2名は8回目の自転車台湾縦断旅を開始した。
この日の目的地は新竹だった。
20時位には到着できるだろう・・
何度縦断しても初日の走り始めはあれこれ心配事をしてしまう。
3年ぶりともなれば尚更だった。
出発地点から1キロ過ぎスポークが積み荷を食ってしまうトラブルが発生した。
微調整でやり過ごせるレベルではない、困った。
すると見知らぬサイクリストが「ついてこい」と言う。
ノコノコついていくと小李単車という自転車屋だった。
このサイクリストは名前を大鳥さんといい57歳なのにその気になれば1日300キロは走れるそう。
我々と大鳥さんは身の上話に花を咲かせたのだけど、何度聞いても意味が分からない?聞き取れない?のが、大鳥さんは「目的地まで一緒に行く」と言っているようで一般的な常識や感覚からすればそれは〔あり得ない事〕だ。
しかし大鳥さん何度聞き直しても「一緒に行く」と言っているようだった。
小李単車の店主は我が台湾号をうまい具合に修理してくれた。
おまけに「お代はいらない」と譲らない。
我々は台湾に感謝を表す為にこの活動をしているけど、毎度毎度多大な義理と大きな借りを作っている。 活動を辞めることができない背景の一つがこの毎度毎度の義理と借りだ。
「義理を欠くことはできない」そう思いながら毎度 義理を頂いている。
大鳥さんは本当に一緒に付いてきた。 今日の目的地を新竹から鶯歌に変更したもののそこそこ距離はある。
それも我々を先導した後、再び台北に帰るのだ。
「親切」という字は、「往復70キロの案内」という行為に対して少し荷が重い。
情熱大陸は大鳥さんを特集すべきだと思う。
16時我々3名は陶器の聖地 鶯歌 に到着した。
3年半前に泊まった玉山旅館に投宿す。
一人1泊1000元。かなり高くなっていた。
ゲバラと仁史君はシャワーを浴びた後コインランドリーで洗濯機を回しつつガンガン飲み始めた。
テキトーな店でテキトーに飲み千鳥足で宿に戻った。
それにしてもお昼 大鳥さんに奢ってもらった無糖のアイスコーヒーが信じられない位美味しかった。
そんな走行初日。