12月2日 第五天 お祭りの主役になる。日本スペインに勝つ。


9時に起きて街ブラした。  

すると西螺の入口にある小さなお宮には大勢の人が集まっていてお祭りの準備をしていた。

よく見ると台湾国旗と日本国旗が掲げられていて、昔の日本人を讃えるような記念式のようだった。

中に入って数名にその云われを伺ったが、「日本人」「原住民」以外聞き取れなかった。

11時嘉義に向けて出発したが、例のお宮では式典が始まったようで覗いてみるとあれよあれよという間にスペシャルサプライズゲストにされてしまった。

2016年第1回目の縦断時にはこんな感じで 知らない人の葬式 に参列させられた事もあった・・

 

たぶん毎年この時期、このお宮でやっているであろう日本人を讃える式典に

「今年はなんと日本から謝謝台湾隊の皆さんが来てくれました!」という具合でいきなり最前列センターに引っ張られた。

我々としても多くの皆さんの前で謝意を伝えられる事は願ったり叶ったりだけど、いきなりお祭りの主役になってしまうのは心なしか申し訳ない気もした。

皆さんに肩を押され再出発した数分後、さっき握手した人の写真がでかでかと掲げられていた。

なるほど政治家の人だったんだ。 地元のお祭りで政治家が顔を売るのは日本も台湾も同じようだ。

!!虎尾という田舎町を通過中に我々はあることを思い出した!!

 

オレは突然大声で「そういえば!」と言った。 仁史君も「そういえば!」と返してきた。

 

ワールドカップで日本はスペインに勝った。

 

予選リーグだけど、ドイツとスペインに勝ったのだからもう帰国してもいい位の快挙だった。

 

我々は虎尾鉄橋を渡り落花生を2つくすね雲林監獄から続くサイクリングロードを通り15時嘉義民雄劉氏古暦というお化け屋敷に到着。

ガジュマルの木に食われた古い民家でなかなかの見応えがあった。

ガイドブックには載らない埋もれた観光資源の一つだと思う。

16時半 我々は嘉義を代表する寂れ宿 真珠大飯店 に到着した。

 

4年前の1215日嘉義に到着したら街中えらい人だかりでなんでも国際ブラスバンドフェスの真っ最中だった。

世界中から集まったブラスバンドとそれを見に来た客・・・

焦って宿探しをするも 案の定どこの宿泊施設も本日満室で「今日嘉義で空いている部屋は無いはずです」と付け足される始末、そこで当時同行していた駒沢大学4年の小原昌太郎君に「仕方ねぇ 南下するぞ」と伝えた。

するとどうだ昌太郎はスマホをいじり始め、

「ブッキングなんちゃらによると真珠大飯店って所は空き部屋があるって」と言ってきた。

そして実際に行ってみると本当に空き部屋だらけというより、オレと昌太郎の貸切だった。

嘉義にある全ての宿泊施設がキャパオーバーする中、真珠大飯店だけが その逆 にあった。

今回は 自主防疫期間 という厄介な問題を抱える我々にとって真珠大飯店の その逆 は問題解決の方向に動くと思っていた。

 

20221221630分 真珠大飯店は4年前と同じ場所にあった。

ホテルのドアは開いているのに、ホテルには誰もいない。

負のオーラで泥棒を寄せ付けない最新式の防犯システムも健在だった。 

玄関のガラスには電話番号が貼ってあった。 ここに電話しろという事か・・

昨日西螺同様ここでも親切な人が現れ、不在オーナーに電話してくれ

「勝手に入館してOK 部屋は302303を使って 後から行く」との返事を得てくれた

オーナーは302303を使ってくれというが、3階まで上るのが億劫で勝手に202203を使うことにした。

どうせこの日も真珠大飯店に泊まる者は我々以外にいないのだ。

到着後の儀式であるシャワーと洗濯を済ませ、嘉義では毎回お世話になる無名鶏肉飯で酒を飲み、駅前の嘉義火鶏肉飯で〆たようだった。


12月3日 第六天 tsmcはデカかった

朝起きて仁史君が送信してくれた昨夜の画材を見た。

そこには非常階段のような所で手すりにかけあがりシルクドソレイユ的な自分や何をしたいのか分からない自分がいた。そのほとんどは公開できない。

 

オレも仁史君も酒飲みで幼馴染だから余計に楽しく毎日飲み過ぎている。

もはや昨夜の自分画材を見て情けなさを感じる事に慣れ過ぎてしまった。

「離婚も2回目を過ぎると何も感じなくなる」と台中で会ったホームレスさんは言っていた。

実際の仁史君の腕はもっと赤い
実際の仁史君の腕はもっと赤い

10時台南へ向けて出発した。 

今回の第8回縦断では走行期間中は全日快晴だった。

この日も文句のつけようのない快晴でその分気になる事もあった。

 

それは仁史君の腕が重度の日焼けでテリーマンのようになってしまったのである。

仁史君本人はアロエ原理主義者で台中辺りで買ったアロエ軟膏を腕と顔にこれでもかと塗りたくって 怪しく輝いている。

 

今彼に日焼け止めクリームが必要な事は誰が見ても明らかだった。

 

人間万事塞翁が馬マー

 

この日我々は台湾における日焼け対策で大いなる発見をした!

 

日焼け止めクリームを買おうとPOYAというドラックストアに入った。

そこで安いやつを探していると・・

これは試供品です。とシールが張っていたので我々は試し塗りさせて頂いた。

 

あくる日もそのまたあくる日も 我々はまずPOYAを探し、日焼け止めを 試し塗り させて頂いた上でその日の水分を購入した。

肌にも財布にもPOYAにもいい「三方善し」をオレ達は発見した。

田舎町六甲では久しぶりにあの爺さんの牛肉麵のお店でお昼を食べ、

4年前迷いに迷った巨大工業地帯へ今回は意図的に侵入した。

 

ここ台湾は半導体の生産量、技術力ともに世界一で技術大国の日本でさえ半導体の世界では台湾の足元にも及ばない。

日本政府もこれには焦りを感じていて、tsmc(台湾積体電路)の熊本工場建設やキオクシア北上工場などに公金を投入してテコ入れをはかってる。

集積回路を究極に小さく精密に作ることが半導体製造の要だ。

しかしその小さな半導体を作る工場はあまりにも巨大!

ナイアガラの滝やジャイアント馬場のように巨大であることはそれだけで人を圧倒する。

tsmcの工場は東京ドームよりでかい箱物をいくつもの渡哲也(渡り廊下の比ではない造語)で繋げている。  非日常的なサイズ感に圧倒されっぱなしだった。

嘘だと思うなら自分の目で確かめてくるといい。

徒歩で行ったら出てくるのに1日掛かるだろう。

我々はその後台湾歴史博物館を素通りしてお目当ての某ホテル(大人の事情で非公表)に投宿。

これまでの全8回の縦断で我々が泊まれる範囲内でのホテルランキングでは

最高が台中の巧合大飯店(チャンスホテル)

最低が新竹の新南旅社(2019年廃業)

だったが、この某ホテルは立地条件はあまり良くないものの宿泊施設として過去最高だった。

あまり詳しくは記せないが、れっきとした昭和がそこにはあった。

 

19時現地台南の友人の呉女史が我々をピックアップしに来てくれた。

今宵は歓迎の宴である。

 

2016年から始めた謝謝台湾自転車縦断旅だけど、これと同時に日本の自宅を台湾人無料宿にしている。

これまで沢山の台湾人旅行者に泊まって頂いたが、台南からのお客さんが一番多い。 

それは単なる偶然だが、それだけ我々と台南には縁がある。

この日の宴会参加者は全員我が家に泊まった経験がある。

 

3年ぶりで積もる話も尽きない宴は深夜まで続いた。

                                                      つづき