9時に起きた。 昨晩もオレの部屋で宴会をしたようだった。
友人の潮州ガールズ職場前の鴨アーバオ君が可愛い。
潮州での出来事はこんな感じでしか記せず、すみません。
14時58分 嘉義行きの普悠瑪プユマ号(在来線では最速)に乗って
16時半嘉義に到着。
呉先生が我々に用意してくれたHotel HI-xinminは私がこれまで台湾で利用したホテルの中で間違いなく最上位のホテルだった。
ちなみに、この日から我々は[自主防疫期間7日間以内的旅客]という肩身の狭い身分から開放され、相部屋もOK、ドミトリーもOK ようやく肩身の狭い身分から一般旅行者なった。
18時、呉長翰先生がホテルに迎えに来た。
晩御飯を食べながら明日の授業の打合せをした。
日本はクロアチアに惜敗してしまったが、我々は6時きっかりに起きた。
そして6時半にホテルのフロントで呉先生と落ち合い先生の車で民和国民小学校まで向かった。
民和国民小学校はアップダウンが激しい小高い丘の上にあった。
我々はまず教官室で「志工」(ボランティアの意味)とプリントされたタスキを渡され学校正門で交通安全員をする事になった。
全校生徒はこの日我々が来るのを聞かされていたようで、大きな声で「おはようございます!」と日本語で挨拶してくれた。
小さな出来事だけどこれだけで来た甲斐は十分あった。
8時過ぎ、全校生徒が登校したところで校長先生と嘉義地区の教育長(たぶん)を紹介され記念撮影。
過分にも学校から感謝状を頂いた。
さてここからが本番の授業になる。
生徒達の将来になんだかの良い影響を与えねばならぬ。
授業は我々が作ったカレーうどんとりんごジュースを飲食しながらのランチミーティングのような授業。
上から教える事は出来ないので、同じ目線で共に考える授業をする。
朋友 友達 それと境遇について一緒に考えてみる。
9時過ぎに生徒達が教室に入ってきて全員着席。
担任の呉先生の司会で授業は始まった。
緊張して記憶が断片的なので授業であった事を順不同で記します。
① 事前に生徒達には謝謝台湾隊の活動は伝えていたようだった。
② 皆で一緒に食べたカレーうどんとりんごジュースが殊更美味しかった。
③ 生徒と共に考えた事
境遇(生まれた場所、国籍、性別)は選べないけど友達は選べるという事
子供の時からの友達はとても大切だという事。
④ 生徒達が描いたイラストにゲバラ感激!
⑤ 長渕剛の「乾杯」を生徒と共に熱唱!
この日この授業ができたのは100%呉長翰先生の作ったご縁と熱意だった。
2018年12月15日 謝謝台湾隊は嘉義市に入った。 当日嘉義では国際ブラスバンドフェスがありホテルはどこも満室で泊まる所が無かった。
そんなゲバラと昌太郎(当時の同行者)に「日本人の方ですか?私の家に泊まりますか?」そう声を掛けてくれた人が呉先生だった。
それ以来交流が始まり、
最初の出会いから1452日後の2022年12月7日 先生の生徒とも交流をもてた。
最高の時間を台湾の子供達と呉先生からプレゼントしてもらった。
12時半、ゲバラと仁史君は嘉義駅から台北行きの電車に乗った。
これまで数日間走ってきた行程や数十年の人生をプレイバックしながら
途中、仁史君は言った
「同じ学年(中学時代の)の中でお前とこんな旅できんのオレぐらいだろ」
確かにそうだと思った。
別に他の同級生達に体力がないから付いてこれないという話ではない。
むしろ[数日かけて台北から高雄まで自転車で走る]という行為だけなら3割程度の同級生ができると思う。
ただ実際に、感謝を伝える為だけにスケジュール調整して台湾まで行って、連日の走行と狂おしい飲酒に耐えれるのは私の同学年の中ではたぶん彼しかいないし、最悪野宿まで覚悟して移動しているのも加味すればやはり付いてこれるのは仁史君だけだ。
注釈 後日仁史君に文面確認をしてもらった際、「俺はこんな事言ってないんじゃない?」と唯一の指摘を頂きました。
15時45分、台北に着いた。
いつものFlipFlopホステルに行き「ドミトリーの空き部屋ありますか?」と尋ねるとフロントの女子が
「カーリィファン ダーグ?」と尋ねてきた。
「カーリィファン ダーグ?」とは「カレーライス兄貴?」という事でオレは「ドイ」「そうだよ」と答えた。
自分がこの近辺でそうゆう名前で呼ばれているのを初めて知ったし、3年ぶりなのに覚えてくれたことがとても嬉しかった。
飲みながら台北の夜をさすらった、これから暫くは精神で肉体を凌駕する必要はない。
死なない程度に飲んで宿に戻った。