第13天 11月24日 花蓮→台北(電車)走行10キロ

さて昨日で今回の旅のミッションは全て終了した。

だから特に書き記す必要もないのだけど惰性で記します。

この日は1255分の電車で台北に向かうから12時まで好き勝手なことをした。

まず自助餐(ズジュツァン)というお好みチョイス式飯屋で朝飯を食ってから花蓮のメインストリート中山路をコンプリートすべく走破していない北西のどんずきまで行って花蓮山脈の麓まで走った。

環七を一周した事よりちっぽけな‘花蓮中山路走破‘だ。

 

電車で台北に向かう車中ほんの少しドキドキ感はこの日と次の日に予約した宿だった。

謝謝台湾隊はこれまで台北に宿泊する際9割がた駅を出て直ぐの華陰街周辺の安宿、残りの1割が西門1軒、博愛路付近2軒の宿で全てに共通するのが台北駅半径900m以内と言う事。

「勝手知ったる」で台湾駅周辺なら生粋の台北っ子ぐらい知っている。

逆に言うとその分刺激が無かった。 

 

この感謝の旅を始めてからオレにとって台湾は感謝を伝える仕事場になった。

分刻みのスケジュールをこなし授業や炊き出しを並行してやるから気の休まるのは酒を飲んでいる時だけだ。

授業と炊き出しを済ませ肩の荷が下りたこの時にいつもとは違う場所から台湾を見たかった。

だから宿を台北駅から少し離れた(半径2キロ)場所で探してみた。

そうして見つけた安宿は万華区にある寓見青旅 MeetingMates Hostelだ。
「非日常」少しは旅行気分を味わおうではないか!という訳。

 

我々は飲んでから3年前に木下諄一先生に連れて行ってもらった徐記川菜で久しぶりに宮爆鶏丁他を食べた。

本当に鶏が柔らかい。ごはんもおかわり自由だ。


第14天 11月25日 台北ぶらり 走行26キロ

宿代をケチったせいでまた鈴木君とセミダブルベッドに2人で寝る羽目になったが夜が気持ち悪い分清々しい朝を迎えた。

近くの市場を物色すべく思い切ってお布団から飛び出したオレが

この日一番初めに目にしたのは 結構上玉いや、

かなり上玉の西洋女が裸にタオル一枚でシャワー室に歩いている所だった。

この衝撃をなんと伝えればよいのだろう? 別に伝える義務はないのだけど

女性の価値の根幹やフェミニストの心の歪みなどなど 見透かしたようだった。

一言で「女性」と言ってもその価値は様々でスカウトされる人もいれば門前払いされる人もいる。 

人類が抱える不公平な苦悩だが

裸にタオル一枚で一瞬でオレの前頭葉を沸点にしたその上玉西洋女のような

 ‘そもそも価値のある女‘を上野千鶴子らは妬んでしまう。

「嫉妬」という文字に女が二人もいるのはその関係だ。

嘉義と鹿草での授業で子供達に伝えたかった、

「他人を称賛する心の豊かさ」はそんなところからきている。

いかん。タオル一枚に文字数制限オーバーしてしまう。

この上玉西洋女性とは最終日一緒に写真を撮ったのでお楽しみに・・

 

この宿の周辺は結構楽しい。

まず出入口の左手5秒に三水街市場の入口がありここがなんともモダンと中華系アングラ感が調和されている。

その三水街市場を出てさらに進むとT字路にぶつかりこれを右に曲がる、辺りには高齢ホームレスが多い、小雨が降る中木綿の布団で寝ている人もいる。意味が分からない。

直ぐ州路という通りにさしかかる。 左手には大きな寺院が見える。

龍山寺というらしい、朝っぱらなのに観光客もいる。

オレは何かに誘われるようにこの州路を進んだ。

この辺は台湾の歌舞伎町だから午前中から春を売ろうと必死な60代とか地獄の娼婦がゴロゴロしている。

 

どんなガイドブックにも載らないが早朝熟女娼婦ってマーライオンより見る価値あるんじゃないか?

11時宿を出て鈴木君を中正紀念堂と台北101に連れて行った。

その後忠孝新生駅近くの飯屋街まで行き狙っていた喬喜蛋炒飯でニンニク牛肉炒飯と斜向かいのカレー屋の鶏カレーを食った。

15時 自転車の保管庫小李単車に到着。 我々は自転車を下りた。
今回の総走行距離は528キロ、授業と炊き出しがメインだったのでそんなもんか・・

 

MRTで宿まで戻り高齢街頭娼婦がゴロゴロ転がっている州路でしたたかに酔った。

ほとんどの店が閉店するまで飲んだので台湾最後の晩餐はまさかのカップラーメンだった。


第15天 11月26日 帰国の日

この日のことで記す事があるとすれば上玉西洋女と写真が撮れた事

桃園空港でバーガーキングのワッツパーを買えたことぐらい。

どうですかお客さん。

ドアを開けたらこんなのが裸体にタオル1枚巻いて立っていたら ド~~~ン!

となる。 

鈴木君も謎の求愛行動していた。

法治国家でなきぇりゃ自分の行動に自信が無い。

それとバーガーキングのワッツパーは22年ぶりに食った。

03年マンハッタンのどこぞで買ったワッツパーをバッテリーパークで食べたそれ以来。

少年老い易く胃袋耐え難し すっかりジジイになっていて完食出来なかった。

悔やまれるのが時間の関係で空港で宝泉食品のお菓子が買えなかった事。

 

謝謝台湾 津波の時助けてくれてありがとう!

12回謝謝台湾感謝之旅

走行者  銭ゲバラ  鈴木仁史

走行距離528キロ×

感謝のカレーおにぎり100セット配布

感謝の手紙140通配布

無茶苦茶な出前授業 

 嘉義民和國民小学5年生 民和國民中学野球部 鹿草國民小学4年生 8コマ