第12回謝謝台湾感謝之旅2025

回を重ねる事12回。

だからどうしたである。

前回の11回は直前に入院そして手術に失敗しながらも強行渡航し道中何度も倒れ踏んだり蹴ったりだったが、今回体調はまずまず。

渡航までにフィジカル調整すれば良かったのだが・・・

 

渡航1週間前の115日東京の弁護士を名乗る人から電話があり次の日仰々しい書類が届いた。

どうやらオレは名誉棄損で訴えられるらしい・・ 困ったものだ・・

 

説明しよう。

オレは2020年 N という住宅会社に補修工事を依頼した。

以前からずぅ~っとNの工事には懐疑的だった。

 

そんなこんなコロナ禍の暇を利用しNの工事を調査してやろう。

 

不正は直ぐに判明した。 Nが私に請求した金額的におよそ半分は工事しておらず所謂

架空請求 というやつだった。 予想通りとはいえ愕然とした。

 

後日N住宅の担当Sを呼び出し、架空請求の証拠を開示し詰めると、慌てて本社から上司が飛んできた。

次の日もその上司の上司みたいな連中が陳謝しに来た。

そいつらはNの不動産事業部という部署の連中だったが、この不正は事業部内ではなく経営陣の判断で対応すべき問題だからオレはそいつらに「ちゃんと経営陣に計る事」と2回も忠告したが、結局不動産事業部の連中は部署内で隠蔽した。

さらにその時には担当Sは飛んでいた。

これが普通の消費者トラブルと違うのはオレが架空請求の証拠と経過をYouTubeで公開していた事だ。

不正発覚後、Nの畠山社長は退任し役員にも大きな入替があった。

現在は創業者のTが会長兼社長を兼任している。

権威にすがりたかっただろうか?顧問に元警視総監など警察OBを据え始めた。

 

そんな噓みないた事実はここにある N住宅のHP

 

架空請求が発覚した会社のHPを開くと  ないものを創りだす  とある。

お笑いである。

 

2021年 確か秋頃だったと思う。

東京の匠総合法律事務所から我が家に書面が届き「今後本件はN住宅ではなく当弁護士法人を窓口にせよ」という内容だった。

ただ匠総合法律事務所とオレの間で以後一度も協議した事はない。

あれから4年・・・

 

今度は東京のM弁護士法人からの書面が来たという訳。

あれだけ陳謝に陳謝を重ねていたNだったが、今度はオレを訴えるとぬかし始めた。

 

 もういい。

旅の話を始めよう。


第1天 2025年11月12日 台風はヨレた

出発当日を迎えるまで前記したトラブルがあったがやはり地元に台湾発着便があると出発当日に余裕がある。

花巻空港には1時間で着くから18時フライトに合わせ16時までに家を出ればいい。

これが成田だと前日夜行バスに乗らんといかんからだいぶ違う。

12回目の今回は久しぶりに鈴木仁史君も同行する。(8回、9回目同行者)

彼の車で空港まで行く打合せをしていたが鈴木君は自転車で我が家に来た。

打合せの際、酒を飲んでいたから記憶に無いそう。

「オレは忘れると決めたら忘れる」とか開き直っている。

我々の便は予定通りに離陸し21時半台湾桃園空港に着いた。

一昨日までの予報では12日21時丁度に桃園空港に台風が直撃するとされていたのでツイている。

私は1年ぶり、鈴木君に至っては2年半ぶりの台湾だった。

空港からのシャトルバス国光に乗り宿のMain Inn Taipeiに着いたのは23時。

中華肉あんかけ丼のような物を食べて寝た。

セミダブルに男2人で寝るからお互い気持ち悪い。


第2天 11月13日 走行20キロ 募金を慈済基金会に届ける

2018年12月11日のお爺さん
2018年12月11日のお爺さん

6時起床、この日は朝から大忙しだった。 

まず8か所に宅急便を飛ばした。

台湾での住所も電話番号もないオレは架空人物をでっち上げ発送した。

その後、鈴木君と落ち合い向かったのは華陰街どんづまりにある大稻埕米粉湯

台湾に着いてからこの店に寄るのは儀式に近い。

旅の無事と安全を祈りここのスープをそそる。

日本語の話せる常連さんから以前切り盛りしていたおじいちゃんは3年前に亡くなったとの事。

 

お店は娘さんが引き継いだようで味も間取りも変わっていない。

9時我々は台北駅からMRTで北へ向かった。目指すは開渡駅。

これは仲間達と必死で集めた台湾花蓮土石流災害募金を慈済基金会にお渡ししに行く為だ。

慈済基金会開渡静思堂には1010分に着いた。約束の20分前だ。

事前に慈済基金会へは「募金は10万円以下だから」とニアンスで簡素な対応を提案していたがエレベーターに乗って連れていかれたご立派なホールでは募金贈呈式の準備がされていた。

プロのアナウンサーや報道及び慈済基金会幹部の方々が一堂に会していた。

あれよあれよと式典は進んだ。

 

事実は小説より奇なりと言ったもんでこの日のうちにこの式典の様子は台湾全土で放映された。


11時半慈済基金会をあとにし対岸の八里という場所にタクシーで行った。

貧乏性の我々がタクシーを使うという事はそれだけスケジュールがタイトなのとスーツケースのローラーが壊れるよりタクシーのほうが安上りだからだ。

12時前回も来て美味しかった鮮来鮮道台湾伝統小吃

という豚、鶏の丼系の店で昼食をとり13時我々の自転車を保管してくれている小李単車へ

細かいセッティングをし第12回謝謝台湾感恩之旅はスタートした。

 

我々は人口密集カオスの三重区を抜け自転車を一度輪行し台北駅1610分発苑裡(ユアンリー)

1843分着の電車に乗った。

苑裡到着後予約していたN-square Hostel 任意。宿〕へ投宿。

宿主はおらず宿泊客は我々のみ、事前に聞いていたセキュリティナンバーを錠前に入力しチェックインし、チェックアウト時に宿賃を貯金箱に入れる完全放置宿だったがきれいで快適 観光客などほとんど来ないであろうこの街にこんな宿があるなんて嬉しい。

 

我々は閑散とした苑裡の夜にも希望の光を探しに街に出た。


第3天 11月14日 またもまたもまたも失敗 走行133キロ

この旅を始めるきっかけの1つに震災時台湾のGIANT社が日本に1000台のマウンテンバイクを緊急生産して送ってくれた事実がある。

そんなこんな謝謝台湾隊はこれまで何度もGIANT本社に赴いているが休日だったりその都度その都度ごもっともな理由のせいで未だGIANT社に感謝を伝えられていない。

今回前日に苑裡入りした理由はここにある。

平日の操業日出社するGIANT従業員に感謝を伝える。

その為だけにここに来ている。

 

写真データによると我々は8時8分にGIANT本社に乗りつけた。

それから9時まで感謝を伝えようと思っていたが  なんだかおかしい・・・

従業員駐車場は満車だし工場からは操業音が聞こえる・・

すると我々を見かねた女子社員が出てきて「この会社は8時から操業します」と言ってきた。

何度目の万事休すだろう・・・

大甲と清水の街を抜け台中飛行場の坂をかけ上がり潭雅神緑園道を通り豊原に入った。

ここで表敬訪問するのは宝泉食品さん。

宝泉食品は東日本大震災の時3日間の売上の全てを日本に寄付した。

利益の全てではなく売上の全てである。

だから台湾に来た日本人観光客は必ず宝泉食品のお菓子を土産に買う気概を持たなければなるまい。

 

そして宝泉食品のはす向かいにある豊原慈済宮付近で前々回私に焼き芋を差し入れしてくれた焼き芋屋さんを探していた時たぶんその筋の兄ィに呼び止められ強引にラーメンをご馳走になった。

兄ィは日本人に飯をご馳走するという太っ腹を大衆にアピールできるし、我々はタダ飯にありつけるし、お店にもいい三方善し 否、もう一つ良かったのは出国前になんとなく読んでいた【台湾のグルメ本 台湾一周途中下車美味しい旅】 光瀬憲子著 という本に紹介されていた店だった。

味はさておき(鈴木君の評価は高かったが)一度は食べなきゃいけない豊原排骨麵を台湾ヤクザの気まぐれで堪能した。

 

その後我々は台中、彰化を抜け19時半鹿港に着いた。

予約していた艾廬人文民宿に荷物を下ろし町全体が文化財の鹿港を楽しんだ。

 


第4天 11月15日 鹿港~西螺 走行48キロ

朝早く鈴木君はどこかへ行った。 どうせ好物のレンブを探しに市場に行ったのだろう。

この日は鹿港から西螺わずか48キロの移動で特に予定も無かった。

狙っていた麵線(そうめんのトロトロ煮込み)ストリートで麵線を食べ気ままに西螺を目指した。

鹿港~西螺までは過去に何度も走行している。

水路伝いにいい感じの自転車道があっていつもそこを走っていたが、この日は渓湖という街を経由して行った。

渓湖では昔の製糖工場を見学し、そこを抜けて直ぐに糖鉄緑道という自転車道があったのでそこを通った。 ふむふむ この道も素晴らしいではないか!

今回西螺に寄るのには明確な理由がある。

3年前西螺で泊まった宿 紅橋民宿 の従業員に気まぐれで日本から手紙を送ったところ、大きな段ボールいっぱいに台湾雑貨を詰め込み我が家に送ってきたのだった。

雑貨と送料で2万はしたはずだ。

なので非常に大きな借りが出来てしまった紅橋民宿を避けて通る事はできなかった。

ただ宿泊する旨はあえて前日まで伏せておいた。

日本から予約でもして行こうもんなら西螺に着いたとたん中華ドラをグワ~ンと叩いて虎舞いみたいなのをされる恐れがあった。

そして西螺に寄るもう一つの理由は炒飯。

2年前に発見した西の名店 京典小吃店の炒飯と名物らしいオムライスは是非とも食べたかった!

1440分我々は西螺大橋を通過し西に入境した。 

西螺大橋は世界最大の真っ赤な橋だからその袂に紅橋民宿はある。

あの従業員はホテルの前で立って待っていた。

なにかと想像の斜め上を越えてくる。

昨日突然の来訪を告げたのに西螺の歴史を日本語に訳しクリアファイルにまとめていた。

それと我々を直接案内したいそうで街ブラに同行してもらった。

至れり尽せりの案内をしてもらい宿に戻るとこれまた大層な西螺土産の数々

 

我々と紅橋民宿は客と宿の関係ではないようだ。


第5天 意外と良かった北港とバナナおじさん 走行66キロ

いや~昨日の京典小吃店はやはり最高だった。

どんだけ食べてもサイクリストは太らない。これまた最高である。

7時半に宿を出てプラプラ朝市を流していた。

そしてこの写真を撮っていたその時!

 

トントンと肩を叩かれた。 振り向くと ? 
あれ? もしかしてバナナおじさん!?

オレはバナナおじさんと奇跡的な再会をし、またバナナを貰った!

 

解説 バナナおじさんとは

20181215日 5回目の縦断旅で西螺を通過した時、バイクで追いかけてきたおじさんからバナナを差し入れてもらった。

おじさんは直ぐ立ち去ってしまったが偶然Goproを起動させていたので顔が判明した。

後日Facebookの西螺コミュニティでこのおじさんの画像を貼りお礼がしたい旨書き込んだ。 

すると西螺鎮鎮長の廖秋萍 さんからDMがあり「その人は農業市場の冷蔵倉庫で働いている」との連絡を受けた。

そこでそのおじさんの画像を手紙に貼ってその冷蔵倉庫に送って〇月〇日また西螺に行くつもりだ。 ぜひ会いたい! と添えた。

そうして待望の再会は7回目の縦断2019127日実現し一緒に日本酒で乾杯した。

 

そうこの日は日曜日だった。休日のバナナおじさんは街ブラでもしてたのだろう。

そんな時前方に日本国旗を掲げた自転車を見つけ まさかあいつじゃないか? と肩を叩いたら あいつ(オレ)だった! というお話である。

その後鈴木君もバナナおじさんに捕まったらしく「知らないおじさんからドリンク2つ貰った」と電話がきた。

 

台湾は国土が狭いからこういった偶然が時々ある。

我々は虎尾~土庫~北港~新港を抜け15時嘉義に着いた。

溜まっていた洗濯を済ませ酒を飲みながら明日の授業構成をした。

明日は5時半に起きてお迎えの車に乗り番路郷の民和小学校、中学校まで行く。

小学校は新規授業 中学校は2回目の授業になる。

午前中の4コマ全てを我々に与えてくれた学校の期待を裏切らない授業をしないといけない。

生徒達に また会いたい と思われる人間でなきゃならない。

 

小学校が用意してくれたHotel近くの東門鷄肉飯で嘉義料理を満喫した。

 

 

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