小学校ではまず正門での交通誘導をする。
全校生徒と仲良くなるチャンスでもある。
まぁ授業内容は画材を見てなんとなく判断してもらえばいいかなと・・
今回オレが子供達に伝えたかった事は
①控えめである事の尊さ
②他人を賞賛できる心の広さを持つ
の2点だけ、それはあえて明文化しないし絶対に上から教えない。
子供の頃、大人はあれこれ喧しい だから子供は大人の言った逆の事なんかおしちゃう。
わざわざ日本から自転車に乗ってきた先生までもそういう事をしてはならない。
子供達と友達になりつつカッコイイ大人を見せないといけない。
子供はカッコイイと思ったら真似をする。
小学校で特別メニューの給食を食べ直ぐ民和中学校野球選抜班に会いに行った。
その際先生から「実は今年の8月野球部の部員が乗ったバスが高速道路で事故を起しそれは台湾各地から募金が集まる程大きな事故だったのです。顔に傷が残っている生徒もいます。 我々は小笠原さんが過剰な反応をとるかもと心配して今日までこの事実を伏せていました。すみません。」との事だった。
過去のネット記事を探したら直ぐに見つかり、死者が出なかったのが不思議な位の事故で運転していた野球部のコーチは1週間意識が回復しなかった。
そんな心的外傷も抱えてるであろう野球部の生徒達にはとっておきを見せた。
それはオレの中学校の卒業アルバムだ。
男ならカッコよく女なら可愛く写ろうと必死なのが中学校の卒業アルバムなんだけどわが校のわが年代には「ある一人を除いては」という注訳が付く。
オレはどうやら中学校の時分にはもう既に立派なバカとして確立されており、クラスの集合写真では全力白目だし部活ではケツを出している。
流石に編集する際他の写真も探したろうけど全ての写真でオレは同等かそれ以上の事をしていたのだろう。
民和中学野球部に冷ややかな笑いを届けせっかくだから野球の指導もした。
野球素人のオレが野球の指導を買って出たのは相応の理由がある。
2025年の第107回全国高等学校野球選手権いわゆる甲子園で愛知代表の豊橋中央のエース高橋大喜地選手がアントニオ猪木投法を披露し、実戦での有効性を証明した。
民和中学野球部員にその映像を見せ「もっと顎を出せ」「気合を入れろ」
「スライディングはアリキックのように」と闘魂を注入した。
野球指導後嘉義市内に戻り我々は一路 鹿草 へ向かった。
明日は鹿草国民小学4年生に同様の授業をする。
授業テーマは AI(人工知能)VS AI(アントニオ猪木)
という訳の分からない授業で学校側にも秘密にしている。
16時鹿草に着き予約していた泊岸居民宿に投宿
この晩はなんと昆虫料理に挑戦した。
何でも大丈夫な鈴木君が「それオレも食べないといけないの?」と珍しく難色を示していたが酒が進むにつれてコオロギを美味そうに食べていた。
朝、宿を出て8時には鹿草小学校の門をくぐった。
事前の学校側との協議で我々は本日中に台南入りする事、移動は自転車という事は伝えていたので学校の先生ならどう考えたって午前中に我々の出前授業を入れてるはずだ。
特に時間指定もないアフリカ時間な鹿草小学校だったがそれはお互い様でオレ達もAIとアントニオ猪木を戦わせるなんて言っていない。
小学校の正門脇に自転車を停めていると男の人が近づいてきた。
鹿草小学校の陳振興校長だった。
我々は校長室でお茶を飲みながら時間を潰していると女性が入ってきた。
この学校の事務員をしている施さんという方で今回の授業通訳をしてくれるそう。
小1レベルの台湾語なオレにとってこれはありがたい。
授業は2時間目~4時間目の3コマで生徒達に折紙を教え最後に延髄切りをかます内容。
授業の最後にみんなで集合写真を撮ったが男子生徒より女子生徒に闘魂注入してしまった感じがした。
オレの手を離さないんだ。
完全にサプライズで敢行したAI闘魂注入だったが学校側の評価は高く来年度も授業に来てほしい旨と昼食をご一緒しましょう!っと
そこで通訳の施さんから「校長先生は小笠原さんはネズミ食べますか?と聞いています」
と言われ、行けば分かるさありがとう!の精神で付いていったのは昨晩の昆虫食堂。
牡蠣の素揚げや炒飯の最後のオオトリで出てきたネズミの醤油ごった煮は硬い鶏肉な感じだった。
ネズミを食べたのは6人中3人だけだった。
そんでまぁ18時頃台南の日本人宿ハム屋に投宿したんだけどこれから先の台南での出来事はHPでは記せません。
記せるとすれば台南には地雷がある。
僭越で煮ても焼いても食えず風俗的価値もない腐った地雷だ。
この日は台南~高雄までの移動のみで特に任務もない。
嫌になるぐらい寝てから近くの鴨母寮市場を視察しに行った。
この近辺には何度も泊っているがこの魅力的な市場は完全にスルーしていた。
生絞りのみかんジュースを片手に探したのは炭火麵という店で前に記した光瀬憲子さんのグルメ本に紹介されていたから
そんでまぁ店を見つけて食ったのだけどここでもオレには普通、鈴木君にはso goodだった。
10時半ハム屋のオーナー沢野公一さんに背中を押され高雄に向かった。
台南~高雄間は海岸線を走るか国道1号線を走るかの2択しかない。
途中2年半前に行った白雪珈琲(ここのプリンはマジで昭和味!)で懐かしい思い出に浸ったり、小さな弥陀の町ではなじみの食堂で炒飯を食ったり目新しいスポットでは蓮池潭風景区に初めて行ったりそんなこんな予約していた宿 Backpacker41に着いたのは16時
高雄に来た理由は王記牛肉麵の麻醤乾麵を食べる為だ。
にんにくと酢と高菜を入れてまぜまぜして食うと盛岡のソウルフードじゃじゃ麵同様に脳汁が分泌される。
この店とはもう随分な付き合いをしている。
店員の女性は若気の至りで足首にアディダスの刺青をしている。
それだけでも見る価値はある。
オレも鈴木君も安心感からしこたま飲んで警察の検証に飛び入り参加したり、宿の前で猪木化し宿の女主人に怒られる有様だった。
くら寿司の大本山に寄った後、紅毛港保安堂に表敬訪問した。
参与の木村さん 高木さんからのお話は大変貴重だった。
萬大大橋を越えた辺りから一面同じ種類の野菜が生産されていた。
たぶん枝豆で日本に輸入される枝豆の多くはタイ産かこの台湾南部産だと聞いた事がある。
潮洲では馴染みの彰春茶荘で今シーズン最上級(片手で掬える分で5500元28000円)
No1 No2 No3を振る舞ってもらった。
台湾茶道のさの字も知らない我々も眉間にしわを寄せにわか茶鑑定士のように飲んだが何が何だか分からぬ世界だった。
ただ言えるのは我々がいつも飲んでる中国福建省産の烏龍茶と台湾烏龍茶は確かに違うし
、この時飲んだ台湾最高級烏龍茶は一般的な台湾烏龍茶とも明らかに違うのだった。
予約していた宿 MikeHostel には16時に着いた。
洗濯をしてから芸術家のKiko.みさえご夫妻、なお助、我々5人で宴会をした。
我々は7時42分発の電車に乗って花蓮に向かった。
台湾島の地形から見るとちょうど反対側に行く事になる。
この行程は旅の1ヶ月前に急遽決まった。
本当は潮州の小学校で授業をする予定だったが、「今、光復に行かないでいつ行くの?」と台湾人のなお助から空気を入れられ挑戦する事にした。
2025年9月23日 台湾花蓮光復郷に土石流が襲った。死者20名行方不明者多数、結構な災害だった。
その災害にあたり盛岡台湾HPJでは募金活動を展開しオレが代表して慈済基金会に届けたのは11月13日の事、当初の予定はそれだけだった。
ただ台湾人のなお助曰く、「今、日本からきて炊き出しをする意義が光復にある」
オレは岩手から仲間と一緒に能登半島入って被災直後の被災者に炊き出しをした事があった。その時被災者からは「わざわざ遠くからありがとう!」という感謝の声を頂いた。
手を合わせて震えるお婆ちゃんとかもいた。
2年前能登半島の被災者が感じた感謝や感動を花蓮光復に届けられるのは我々しかいない。
そう思うと俄然やる気になってきたのです。
ハードルは高いが、炊き出し場所、大型炊飯器、プロパンガスを確保すればなんとかできる。
全体統括オレ、現地コーディネーターなお助の布陣で光復での炊き出しは企画された。
話を旅に戻すと、車窓から見える台湾東海岸は絶景だった。
特に金崙~台東までの眺めは素晴らしい。
多くの日本人旅行者は台湾の一番きれいな所に行っていない。
九份もランタン揚げも台北101も3人一緒にかかってきても台湾東海岸には勝てない。
11時我々は光復を9駅過ぎた花蓮に着いた。
我々はこの花蓮をベースキャンプにし光復の準備を始めました。
まず投宿する花蓮阿羅国際青年旅舎に荷物を置かせてもらい、光復での炊き出し諸々我々のミッションを伝え出来る限りの協力をお願いした。
オーナーは心のある方で良かった。
鈴木君を宿に残し、午後一番で光復に向かったまず現地をこの眼で見ないと見当がつかない。
光復の駅を下りてまだ砂埃の舞うメインストリートを350M歩くと今回の炊き出しに協力してくれる彼心書店はあった。
事務所に調理器具を搬入してから被災最前線を視察しに行った。
街を襲った土石流は巨大岩石からベビーパウダー状の粒子まで
これまで様々な災害現場の臨場をしているが復旧に相当の時間が掛かる事や上流部に再び堰さいダムができるリスクなどオレだったら移住を選択する災害かなと・・
視察を終え花蓮で宴会を始めたのは19時頃
我々は迷わず花蓮香扁食慈済店へ向かった。
名物のデカワンタンも最高なのだが慈済店限定の粗麺(手もみ麺)も最高だし肉燥飯も美味い!また調味コーナーに置いてある紅油醤を入れて味変を楽しめる。
我々にとって花蓮Best of Bestがこの店。
午前中早めに明日の炊き出しに必要な物は全て揃えた。
11時この日開催された花蓮マラソンに盛岡台湾HPJメンバーの村田君が参加していたので応援しに行ったがレース参加者全員がもうゴールしていた。
我々は花蓮の海岸線を走ったり、原住民のガキにたかられたり、明日の電車チケットを買ったりしてこの日の夜も花蓮香扁食慈済店へ行った。
緊張してあまり寝られなかった。
この日の炊き出しは被災現地光復ではもう告知済みで多くの被災者が楽しみにしている。
また協力してくれる彼心書店の話だと10時頃報道各社が取材に来るそう。
「できませんでした」は口が裂けても言えない。
我々は6時半の電車に乗って7時半光復に着いた。
炊き出し会場のガレージまで行き早速米を研いで浸水させた。
3升炊きの炊飯器を借りたので9時半に1回目の炊き上げ、10時半に2回目の炊き上げと同時進行で放熱、成型、梱包をしてカレー味噌おにぎりを100個作る。
なぜカレーライスではなくカレーおにぎりなのかと言うとボランティア活動で泥んこになっている時、衛生観念を気にせず片手で食べるにはおにぎりがいいからだ。
ただ作った。炊き出しをした。という自己満足に浸る愚は眼中にあらず。
食べてくれた人達が感動する美味しさを目指している。
懸念材料は花蓮市内でどうしてもS&B食品の赤缶が見つからず、タイ産のカレー粉にインド化の仕事を全て託した事。
10時10分 1回目が炊きあがり味見するといろいろ足りない。 まぁ少し足りない位が丁度いい。
つゆとみそ(まつや 鶏味噌鍋の素 )で調整し放熱、2回目の炊き上げに入る.
そんな作業の合間を縫って取材対応もこなす。
こういう状況をてんてこ舞いと言う。
11時半全ての作業が完了した。
配布は12時からの予定だったが11時位から行列はできていた。
彼心書店の主人はおにぎりの数を行列が越えないようカウントして配布前にもう限度数を越えたようだった。
たかが おにぎり だけどわざわざ日本からやってきたという事実がこれほどの反響に繋がる。
たかが おにぎり だけど被災者の心に届けばそれでいい。
12時 盛岡台湾HPJpresentsカレー鶏味噌おにぎり は配布された。
今回は美味しさの点で目指したレベルに及ばなかった。
13時半 この炊き出しのボランティアとして参加した林(リン)さんが地元 鳳林(フェンリン)をどうしても紹介したいとの事、我々は鳳林には興味が無かったが林さんのその情熱の熱源が知りたくて付いていった。
何もない所で宝探しをしたようなな鳳林滞在だったが落花生アイスとゆっくりした時間の流れが印象に残った。
林さん自身も元々は台北出身だったが都会の喧騒に嫌気がさし数年前に鳳林に移住し 貿易風書旅 という独立書店を経営している。
我々はこの日も花蓮香扁食慈済店に行った。3日間連続である。
美味しいからと言っても流石に芸がない。
酒をしこたま飲んでから反対車線にある一品香扁食に行って〆よう。
無論一品香扁食は花蓮香扁食の二匹目のドジョウを狙った店だろう。
真正面でそんな挑発を続ける勇気もなかなかいい。
入ってみると客もそれなりにいた。 なんか良い気がする。
結果、一品香扁食は花蓮香扁食に遜色なく美味い。